蓮實重彦

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  本来の表記は「蓮實重彥」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
はすみ しげひこ
蓮實 重彥
生誕 1936年4月29日(79歳)
日本の旗 日本東京都
出身校 東京大学
職業 大学教授映画評論家文芸評論家編集者
配偶者 蓮實シャンタル(Chantal Hasumi)
子供 蓮実重臣
受賞 1978年 読売文学賞 評論・伝記賞 『反=日本語論』
1989年 芸術選奨 文部大臣賞 『凡庸な芸術家の肖像』
1999年 芸術文化勲章 コマンドゥール

 

蓮實 重彥(はすみ しげひこ、男性1936年4月29日 - )は、東京都生まれのフランス文学者映画評論家文芸評論家編集者、元東京大学総長。身長182cm。英語フランス語イタリア語を解する。

父の蓮實重康京都大学教授などを務めた美術史家で、人民戦線『土曜日』にも関わった。妻はフランス留学時代に知り合い、「小津安二郎を愛する」、フランス語を母語とするベルギー人蓮實シャンタル。彼女はお茶の水女子大学でフランス語の講師を担当していた時期もあり、蓮實の著作である『反=日本語論』の文庫版では後書きを担当している。

長男の蓮実重臣作曲家。『反=日本語論』では、バイリンガル家庭に育つ息子として、その幼き日の挙動が描かれている。 

経歴

人物・活動

本来は森鴎外の孫である山田爵の教えをうけたフランス近代文学フローベール)を専攻とするフランス文学者である。

留学先であるソルボンヌの指導教官はロベール・リカット教授。博士論文は「『ボヴァリー夫人』を通してみたフローベールの心理の方法」。

1965年に帰国した頃から執筆活動を始め、1968年には筑摩書房の「フローベール全集」研究編の後書きに「フローベールと文学の変貌」が所収される。

この論文が、後に「蓮實文体」と呼ばれて一世を風靡する独特な朦朧体の起源となる。

1970年代初頭に当時安原顯が編集者を務めていた文芸雑誌「」に掲載されたミシェル・フーコー等フランス現代思想・哲学者に関するインタビューと評論文(後に『批評あるいは仮死の祭典』に所収)が話題を呼び、当時勃興し始めていたフランス現代思想に関する論者として頭角を現す。

ミシェル・フーコージル・ドゥルーズジャック・デリダを中心としたフランス現代思想や、ロラン・バルトジャン=ピエール・リシャールなどのヌーヴェル・クリティックに関する論評、批評文を各種雑誌(三浦雅士の「ユリイカ」「現代思想」、中野幹隆の「パイデイア」「エピステーメー」、安原顕の「海」)に精力的に寄稿すると共に、朝日新聞の「文芸時評」などでも文芸評論を盛んに行う。

またその著作活動は思想家や作家・作品の論評に留まることなく、『表層批評宣言』 や読売文学賞を受賞した『反=日本語論』といったエッセイでも知られる。

俗に「蓮實文体」と呼ばれる朦朧体・「蓮實語」と呼ばれる独特な語彙、彼の使用する文学理論の一種であるテーマ批評テマティスム)は、文学や映画やアニメのファン、研究者、批評家、フリーライターのみならず、小説家や映画作家の間でも多くの模倣者を集めている。

思想や文学作品の論評から論壇に登場したものの、中心的な関心は映画や野球にあることを著作やインタビュー等で早くから公言しており、そのキャリアにおいて最初に活字化されたものは大学院在学中に著した映画時評であり、「東京大学新聞」に掲載された。

1980年代中盤以降はニュー・アカデミズムブームの退潮に随伴するかのように、執筆対象の主軸は氏が最も愛する領域である映画に移行し始め、自らが責任編集を務めた雑誌「リュミエール」はこうした活動の中核となってゆく。

とはいえ、同時代の小説家や批評家についても、近年の著作やインタビューで頻繁に言及しており、第24回早稲田文学新人賞では一度かぎりの選考委員を務め、応募当時70代であった黒田夏子の『abさんご』を選出、同作は史上最年長者による芥川龍之介賞を受賞し、一大センセーションを巻き起こした。

映画について

 

好きもしくは高く評価している映画監督俳優ジョン・フォードジャン・ルノワール小津安二郎の三人を筆頭に、ハワード・ホークスラオール・ウォルシュエルンスト・ルビッチアルフレッド・ヒッチコックオーソン・ウェルズダグラス・サークヴィンセント・ミネリスタンリー・ドーネンドン・シーゲルリチャード・フライシャーロバート・アルドリッチクリント・イーストウッドジム・ジャームッシュジョン・カサヴェテススティーブン・スピルバーグトニー・スコットウェス・アンダーソンフレデリック・ワイズマンティム・バートンガス・ヴァン・サントサム・ライミクエンティン・タランティーノ(以上アメリカ)、

マックス・オフュルスジャック・ベッケルロベール・ブレッソンジャン=リュック・ゴダールフランソワ・トリュフォージャック・リヴェットエリック・ロメールストローブ=ユイレアルノー・デプレシャンオリヴィエ・アサイヤス(以上フランス/ただしオフュルスの出生はドイツ)、

ロベルト・ロッセリーニベルナルド・ベルトルッチエルマンノ・オルミ(以上イタリア)、

ルイス・ブニュエルビクトル・エリセホセ・ルイス・ゲリン(以上スペイン)、

マノエル・ド・オリヴェイラペドロ・コスタ(以上ポルトガル)、

フリッツ・ラングF・W・ムルナウ(以上ドイツ)、

セルゲイ・エイゼンシュテインヴィターリー・カネフスキーセルゲイ・パラジャーノフアレクサンドル・ソクーロフオタール・イオセリアーニ(以上旧ソ連)、

カール・テホ・ドライヤーデンマーク)、

アキ・カウリスマキフィンランド)、

ミロシュ・フォルマン(アメリカに亡命する前のミロス・フォアマンの評価)(旧チェコスロバキア)、

アッバス・キアロスタミ(イラン)、

ジャ・ジャンクー(中国)、

ホウ・シャオシェンエドワード・ヤン(台湾)、

山中貞雄溝口健二成瀬巳喜男清水宏三隅研次マキノ雅弘加藤泰鈴木則文増村保造吉田喜重大島渚鈴木清順中島貞夫神代辰巳曽根中生相米慎二澤井信一郎小川紳介北野武黒沢清青山真治万田邦敏井口奈己(以上監督)、

ジョン・ウェインキャサリン・ヘップバーントム・クルーズ山田五十鈴鶴田浩二(以上俳優)等、膨大。

嫌いもしくは否定的な評価を下している監督、俳優はヘンリー・フォンダジョン・フォードの晩年期での確執が原因で最も嫌っている。俳優としての評価とは別。)を筆頭にウォシャウスキー兄弟ヒューゴ・ウィービングジェーン・カンピオンイングマール・ベルイマンニキータ・ミハルコフジョージ・ルーカスリドリー・スコットラッセル・クロウ等。

フランス文学研究者が本業であることからフランス映画を始めとするヨーロッパ映画が好みと思われることもあるようだが、アメリカ映画、特に1940年代までのハリウッド黄金時代こそが最高だと明言している。

ただし、ニコラス・レイアンソニー・マンジョゼフ・ロージーサミュエル・フラー等の「アメリカ50年代作家」とテオ・アンゲロプロスヴィム・ヴェンダースダニエル・シュミットビクトル・エリセ等の「73年の世代」(蓮實自身が『季刊リュミエール』誌で命名)に対しては人並みならぬ愛着と一家言を持つ。

映画批評では特に映画の「歴史・記憶」に対する敬意を尊重する。

蓮實の映画批評というと『監督 小津安二郎』に代表されるテマティスム的な批評文が引き合いに出されることが多いが、その一方で、着実かつ独自な視点による映画史的な批評も重要な側面を占めている。

『ハリウッド映画史講義』における「50年代作家」の擁護、「B級映画」の成り立ちと意義、「ハリウッド撮影所システム崩壊」の経緯と位置付けや、『映画における男女の愛の表象について』(『映画狂人、神出鬼没』所収)におけるヘイズ・コードハリウッド映画にもたらした表現方法の変化、あるいは『署名の変貌 - ソ連映画史再読のための一つの視角』(レンフィルム祭パンフレット所収)におけるサイレントからトーキーへの変貌の過程とその本質的な意味など、少なくとも日本においては蓮實が初めて提示し明確化した映画史的な観点が少なからずある。

こうした功績が評価され、2007年には第25回川喜多賞を受賞した。

蓮實の批評は以後の映画批評に絶大な影響を与えることになった。

また、立教大学時代の教え子として映画監督の黒沢清周防正行万田邦敏塩田明彦、映画監督・小説家の青山真治等、未来の現場監督にも大きな影響を与えた。

彼らが形成した映画文化を「立教ヌーヴェルヴァーグ」という。

一方、東京大学における教え子から生まれた映画監督は中田秀夫が目立つ程度だが、映画批評・研究の領域においては四方田犬彦を筆頭に、松浦寿輝野崎歓堀潤之関西大学准教・映画批評家)など多彩な人材を輩出しており、蓮實自身がその創設に奔走した東京大学教養学部超域文化科学科表象文化論コースの卒業者は映画批評・研究の領域における一大勢力に育ちつつある。

それに対して、ある時期以降の四方田は蓮實が唱えた「映画は映画の内側においてのみ特権的に語られるべき」であるとする「表層主義」に対し極めて批判的であり(四方田犬彦著『アジアのなかの日本映画』より)、蓮實批判の先鋒に位置している。

また、『映画芸術』の編集長で脚本家の荒井晴彦らも、蓮實のテマティックな映画批評における「現実的な政治や社会に対するまなざしの不在」・「審美主義」に対して批判的である。

俳優に対する視点

『あなたに映画を愛しているとは言わせない』というサイトのなかの『山田五十鈴讃』で、「役者など被写体に過ぎない、という侮蔑に近い念が首をもたげてきます」との言い回しに続け、「他方、作品の成立にみずからの肉体を提供し、監督の意向にそってそのイメージをいかようにでも変容してみせるという存在の同一性をいったいどのように把握すればよいのか、心もとない気もします」と書き連ね、俳優に対するアンビバレント(両義的)な思いとそれを他者に対して説得可能な言葉でうまく書き連ねることができない思いを告白している。

その他の活動

東大の純血主義(教官を全て東大出身者で固めること)を批判し、他大学から多くの教官を受け入れた。北海道大学出身で成城大学教授だった小森陽一や、学位を持っていない安藤忠雄らがいる。1988年に発生した、いわゆる東大駒場騒動又は東大・中沢事件と呼ばれる、東大教養学部の人事をめぐる騒動では、西部邁が推した中沢新一の受け入れに賛成した。

その他、東大の時計台(駒場の1号館、本郷安田講堂)を権威の象徴と決め付け「ああいうものは良くない」等と言い、背後に高層ビルを建てさせ東京大学の象徴を徹底的に破壊していった。

一時期、中上健次柄谷行人と「カレキナダ」という草野球チームを組んでいた事がある。(ちなみに過去在籍メンバーは、渡部直己絓秀実松本健一立松和平高橋源一郎平石貴樹尾辻克彦赤瀬川隼ねじめ正一島田雅彦、など)東京堂書店セミナーで顔を合わせた時に結成。

黒澤明の乱のメイキング映画である、クリス・マイケルの「ドキュメント黒澤明 A・K」の日本語版のナレーションを担当している。

草野進との関係

草野 進(くさの しん)は、198289年の間『』『GS-たのしい知識-La gaya scienza』『Sports Graphic Number』を舞台に活動した、女性プロ野球評論家。独特の文体と鋭い批評眼で話題になり、雑誌連載は後に総てが単行本化されている。

草野進は蓮實か、蓮實と渡部直己との共同ペンネームではないかと見る向きもあった。蓮實の弟子の玉木正之は前者を主張しているが[1]、渡部との対談記事[2]には30代前半の女性と思しき本人の顔写真が掲載されており、覆面作家ではない。

著書

共編著

翻訳

  • 映画
  • 『ドキュメント黒澤明 A・K』クリス・マイケル、1985(ナレーションも担当)『黒澤明 創造の軌跡 黒澤明ザ・マスターワークス補完映像集』に収録

関連項目・人物

  1. ^ 草野進のプロ野球評論は何故に「革命的」なのか?玉木正之コラム・スポーツ編アーカイブ)
  2. ^ STUDIO VOICE』1984年5月号

外部リンク

 
 

蓮實重彦」の書誌情報