太子を尊敬し、軍人勅諭に感銘を受けることは右なのか?

【オリジナル】「厩戸皇子」イラスト/美羅 [pixiv]

 

1500年にわたって日本人の信仰の対象であり続けてきた太子を語るのに、拙劣な絵を貼り付けるのは畏れ多いとは思う。でも、例えばルナンなんかが言う歴史的イエスと信仰の対象としてのキリストとが全く別の次元の存在であるように、太子の場合も、厩戸皇子が実在したかどうかなんてことは大した問題ではない、と私は思っている。

肝心なのは、「聖徳太子」という存在が、理想的な統治者の像として人々から望まれ、慕われ、日本史の起源から現代の我々にまで続く倫理的な規範であり続けてきたということだ。

 

軍人勅諭の草稿を書いたのは明治天皇ではなく西周だ。十七条憲法を書いたのも当時の日本の知的エリートだった日本書紀の編纂者たちの中の誰かだったのかも知れない。でも十七条憲法は歴史的なテキストとして残ってきた。

官僚を戒める内容が多いのは、官僚支配体制が固まって腐敗が横行し始めた状況をなんとかする必要があったからなんだろう。形骸化した仏教を自分の利権を守るためにおざなりに使う官僚たちもごろごろいたから仏法を尊べと教えているんだろう。

 

でも親鸞が太子を深く信仰していて、太子が夢告で現れて真宗を興すきっかけになったように、<聖徳太子>というイメージは政治を離れて信仰として土着化した。

日本人の歴史の記憶のいちばん深いところから人々を導く「正しい人の像」が太子なので、その像が皇室に属していたことが、1500年あまりにわたって社会の上部構造としての天皇制システムが日本で機能し続けてきたことの基礎にあるんじゃないかという気がしている。

 

私自身は、皇室が存続しようがなくなろうがどっちでもいいと思っている。

でも、昭和天皇明治天皇も、特に好きでもないけど、嫌悪感は覚えない。

 

だが十七条憲法と軍人勅諭は名文だ。皇室から発せられたことによる権威付けとか抜きにして普通に読んでも、日本語による歴史的なテキストとして、はっきりと優れている。

欧米の、プロテスタントの倫理をベースにした資本主義の発展から生まれてきた民主主義とは違うけど、日本には日本なりに長い歴史を経て醸成されてきた倫理の体系があって、その道や理の中で戦前までの日本人は生きてきたのだ。

 

戦後の急速にアメリカナイズされて行く世相に絶望して三島や川端は自殺したけど、太子以来の歴史の古層から、テキストを媒介にして現代の私みたいなテケトーに生きている者にも伝わってくる感銘が確かにある。

 

大空襲や特攻や玉砕や原爆を経験する前から日本人は生きてきたし、軍人勅諭の教えを昭和の武官達がちゃんと守っていればあんな惨禍は起きなかったろう。

太子を尊敬する心を芯に据えて、日本人が纏まることがファシズムであるなら、私もそのファシズムの中に自分がいることを自覚する必要があるなと思う。

 

太子を理想の統治者として思い描く日本のファシズムは、ヒトラーのナチやムッソリーニファシスト党スターリンの独裁とは違う。

私は、皇室がなくなっても太子への敬愛の念は日本人の心から消えないと思う。

 

こういう政治的スペクトルは。。。。

つかこれはもう上部構造の上部構造と言うか、力への意志から生まれる政治的なスペクトルじゃないな。。。。右とか左とか、欧米産の「上部構造」とは異質な心性の領域の問題なような気もする。。。