フェティシズム

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フェティシズム(英語:Fetishism)は、人類学・宗教学では呪物崇拝、経済学では物神崇拝と訳される。また、心理学では性的倒錯の一つのあり方で、物品や生き物、人体の一部などに性的に引き寄せられ、性的魅惑を感じるものを言う。極端な場合は、性的倒錯や変態性欲の範疇に入る。

現代の日本でフェティシズムという場合、上記のうち心理学的な意味における「性的フェティシズム」を指すことが多い。本来、精神医学ではかなり深いこだわりを指すものであるが、省略形・俗語でフェチとも言い、単なる性的嗜好程度の意味で使われている。

フェティシズムを向ける対象をフェティッシュ(fetish)、フェティシズムの志向を持つ人をフェティシスト(fetishist)という。

フェティシズムの原義[編集]

当初は人類学、宗教学の用語として使われ、後に心理学などの分野でも使われるようになった言葉である。

フェティシズムという言葉を使い始めたのはフランスの思想家ド・ブロス(Charles de Brosses)だといわれる。ド・ブロスは1760年に『フェティッシュ諸神の崇拝』(Du culte des dieux fetiches)を著した。ここで扱われているのはアフリカの住民の間で宗教的な崇拝の対象になっていた護符(フェティソ:Fetico)であった。これは呪物崇拝と呼ばれる。

心理学者のアルフレッド・ビネーが1887年の論文で肌着、靴など(本来、性的な対象でないもの)に性的魅力を感じることをフェティシズムと呼ぶよう提唱した。次いでクラフト=エビングが『性的精神病理』第4版(1889年)の中でフェティシズム概念を採用した。この著書はフェティシズム、同性愛、サディズム、マゾヒズムを主に論じたもので、世紀末によく読まれた本である。フロイトも性の逸脱現象としてこの用語を用いた。フロイトは足や髪、衣服などを性の対象とするフェティシズムは幼児期の体験に基づくものと考えた(『性の理論に関する三つの論文』1905年)。

このほか、カール・マルクスもド・ブロスを読み、ノートを取っていた。『経済学・哲学草稿』(1844年頃執筆、死後の1932年公刊)で資本主義経済批判を展開し、経済を円滑にする手段として生まれた貨幣自体が神の如く扱われ、人間関係を倒錯させていると述べた。また『資本論』第1巻(1867年)の「商品の物神的性格とその秘密」という章で、「商品」の持つフェティシズム(物神崇拝)を論じた。マルクスフェティシズム論(物神崇拝論)は20世紀になって注目されるようになった。

精神医学的なフェティシズム[編集]

精神医学でいうフェティシズムは変態性欲、性的倒錯とされており現代日本で用いられる軽い趣味ではなく、性的対象の歪曲を指す。診断は訓練をつんだ専門家によって行なわなければならないが、アメリカ精神医学会の『精神障害の診断と統計マニュアル』にはフェティシズムの診断基準が設けられている。それによれば、
長期(少なくとも6ヶ月以上)にわたる、生命のない対象物に対する強烈な性衝動、妄想、行動が持続、反復する。
その性衝動、妄想、行動により著しい苦痛、または社会的、職業的な障害を引き起こしている。
対象物は衣服や性具に限らない。

とされている。

また物以外の状況・行動などへの偏愛はおおまかにパラフィリアと呼ばれる。

フェティシズムの誤用[編集]

「胸の大きな女性が好きだから自分はおっぱいフェチだ」などと自称する人は多いが、これらは上記の基準に照らし合わせればフェティシズムには分類されない。彼らの性欲の対象は、胸の大きな女性との交際や性行為である。「胸が大きい女性との性行為しかままならない」というほどの性的対象の歪曲が持続することで、初めて性的フェティシズムと言える。

俗語としてのフェチは交際や性行為がメインであり、それを彩るための副菜・添え物としての趣味を指すため、専門用語としてのフェティシズムとはかなり乖離した意味であることに注意が必要である。

かつては隠微なものであった特殊な嗜好も、近年ではフェチという言葉が一般化し、脇フェチ、尻フェチ、二の腕フェチなど一層細分化され、パーツへのこだわりという現象が顕著になってきている。また、近年ではめがねフェチ、鎖骨フェチ、声フェチ、腹筋フェチなどといった言葉で語られる女性の男性に対するパーツ化された嗜好が一般に語られるようになってきている。ただし、これらは俗称かつ誤用である。

現在ではこちらの俗称の方が広まったため、本来の意味でのフェティシストがこちらのタイプと誤認されることも多く、思わぬ弊害を生む場合がある。例えば、異性愛者であっても、異性ではなく同性に関連する物、あるいは物としての同性の体やその一部に性的興奮を覚える人、同性に関するフェチ画像をウェブサイトなどで公開している人などが存在するが、このような人々が同性愛者であると誤解・曲解されること、あるいは本人でさえそう思い込むことも少なくない。本当の同性愛者の中にもこのようなフェティシズムを持つ者は存在し得るが、上述の例の場合はあくまでも同性ではなく、それに関連する物、あるいは物としての肉体が性欲の対象であり、同性との交際や性行為が対象ではないため、これらのフェティシストの人が同性愛者であるわけではない。

性差[編集]

日本では、男性のフェティシズムが変態性欲の一つとみなされることが多い一方、女性のフェティシズムはさほど論じられていない。そのことを男性のフェティシズムは市民権を得ているが、女性のそれは認知されていないことの証左であると指摘する意見もある。精神医学的な立場から言えばフェティシズム傾向が認められる患者は圧倒的に男性が多いとされている。

様々なフェティシズム・パラフィリア[編集]
おおまかに言って、物に対する執着はフェティシズム、状態に対する執着はパラフィリアと分類できる。

女性の足・脚に対する偏愛[編集]
作家・谷崎潤一郎が初期の『刺青』から晩年の『瘋癲老人日記』まで、女性の足にこだわりを見せたことは有名。『瘋癲老人日記』(1961年)は、若い嫁の足に踏みつけられることを夢想し、死んでゆく男性を描いている。フェチを描いた先駆的小説である(足に対する偏愛は「谷崎趣味」と呼ばれることもあった)。
生活の洋風化にともない女性のハイヒールやストッキング姿などに執着するフェティシズムが、日本で一般にも認知されるようになった。欧米では早くからハイヒール・ピンヒールに対するフェティシズムがあったことが1946年から1954年まで発行された『Bizarre』というフェティッシュマガジンに見て取れる。
女性の身体の局所部分に対する類似の偏愛として、手指やうなじ・鎖骨(デコルテ)などに対する執着を見せる男性も少なくない。他、様々な局所部分に対する偏愛・執着を指す表現が定義できる。但し、上述のような俗語的な意味合いとの混同に注意を要する。

服装・外見への偏愛[編集]
西欧文化圏では拘束具としてロープよりも手枷などが発達し、そうした拘束状態を示す言葉としてボンデージ(Bondage)が定着した。SMでも用いられていたパンクファッションに見られた鋲付きの皮革・エナメルの衣装などが、1990年代初め、シャネル、ベルサーチなどがファッションに取り入れボンデージファッションと呼ばれるようになった。アメリカの歌手マドンナもゴルチエのSMボンデージ風の衣装を好んで身に付けていた。これがさらに主に西欧で発展し、皮革・エナメル・ラバー(ゴム)などの素材を用いたフェティッシュファッションと呼ばれる分野で2000年代に入り多くのデザイナーが登場している。
上記のSMボンデージとはやや異なり、レザーウェアの素材である皮革の方に執着するフェティシズムが、男女双方に存在する。欧米、特にイギリスやドイツに専門誌、専門サイトが多い。
礼服の異性若しくは服装そのものに対する偏愛・執着を見せるフェティシズム現象は、古くから男女ともに見られる。女性であれば男性の背広・タキシード・紋付袴姿に対する執着、男性であれば女性のドレス(特にウェディングドレス)・レディーススーツ・スカート姿・舞台衣装・ダンスウェアをはじめ、和装・巫女装束などの儀式衣装などに偏愛を見せるケースがある。これらのフォーマルウェアには男女を問わず独特の非日常性と社会的性(ジェンダー)を視覚的に際立たせる要素を持っているため、フェティシズムの対象となり易い。着飾った異性よりも、衣裳(更に際立ったケースとして、衣裳を形成している「布生地」)そのものに対する執着を見せるケースが多い。これも俗語的な意味でのフェティシズムとの混同に注意を要するケースである。
女性の下着、タイツ、ストッキングに執着し、秘かに持ち去ってゆく者(下着泥棒)もいる。女性に直接危害を加えるわけではないが、やはり気味が悪いと思う女性は数多い。一般的には布よりも中身に価値があるはずだが、着用している異性自身よりも衣服や布地に対して異常な関心を示す点に、性対象の歪曲が見られる。上記項目と類似する点である。時に、こういう変態がヒーローに変身する変態仮面という漫画もある
男女問わず学生服姿や体操着姿、また医師・看護師の白衣他、職業などを想起させる制服に対する性的嗜好の固着が見られる。アダルトビデオなどの性風俗的なメディアで多用されているために一概に精神医学的な考察はふさわしくない。思春期の折りに性的好奇心が高まることは珍しいことではなく、その象徴としてのセーラー服やブルマースクール水着などへの執着は必ずしも性的逸脱とは言い切れない。あまりに逸脱の見られる場合はフェティシズム的服装倒錯症に分類されることがある。1990年代に生まれたブルセラショップを支えたものはこうした性的逸脱であるという論拠も多いが推測の域を出ない(2004年に法規制の対象になったが、ブルセラでは女子高生の唾液さえも商品になった時期があった)。
長髪、短い髪、赤髪など髪の毛の長さや色に執着する者も少なくない。また、女性が髪を切る過程に興奮する者も多い。
「レインコートフェティシズム」とはレインコートを着用した女性・レインコートにとくに欲情をかきたてられる性癖をさす(おもに男性。女性ではまれ)。最近では(2009年以降)、レインコートフェティシズムをテーマにしたアダルトDVDも多数製作されている。代表的なものに「エンドレスレインコート」シリーズなどがある。
ゴシック・アンド・ロリータを着た少女が好きであると公言する大槻ケンヂは著作『大槻ケンヂ短編集 ゴスロリ幻想劇場』の「ゴスロリ専門風俗店の『七曲町子』」という掌編にてゴシック・アンド・ロリータ専門の風俗店を扱っている[1][2]。しかし、この掌編に対しては少女読者から「ゴスロリを汚すな」という抗議が殺到したという[2]。ちなみに「ゴスロリ専門風俗店の『七曲町子』」は、同じく大槻の著作である『ロッキン・ホース・バレリーナ』の前日談で[2]、大槻は小説のヒロインである七曲町子を「マイフェイバリットキャラクター」として挙げている[3]。また『ロッキン・ホース・バレリーナ』は、ヴィジュアル系バンドのボーカル・デュワー君に食われるために博多に向かうゴスロリ少女七曲町子と、全国ツアーを行うパンクバンド「野原」を描いた物語である[4]が、七曲町子のようなバンドファンがフィクション作品で描かれる一方で、現実には「食われたくないから」ライブにゴシック・アンド・ロリータで行くという者もいる[5]。また、大槻は「ゴスロリ服ってボタンいっぱいあってあの脱がせにくさが男の劣情をそそると思うんだけどなあ。」[2]、「バージニティっていう部分、純潔というか理想を守るというか…でもそれが、尼僧を見てむらむらするみたいな現象でね、その禁欲的な部分に男の人はどきどきするんでね、そこをかたくなに拒絶せずに、自分たちが意外にエロい服を着ているんだという自覚を持つと、さらに魅力的になるじゃないかと、えーゴスロリに関して男目線で見ている者としては主張したいですね。」と男性の目線から述べている。こうした男性による先入観に基づいた、調査ともいえない興味本位の現代の若者の取り上げ方の中には、ゴスロリ系の女子は性体験率が高いという記事もある[6]。ただしこの日本溶解論(三浦展が主宰するカルチャースタディーズ研究所)の調査では回答が「一人の相手とだけある」「複数の相手とある」の2回答しかなく、なぜかはわからないが「2007年の時点で中学生を除く15歳から22歳の女性」[7]を対象にしていながら、「未体験」の回答がない。そもそもこの質問の回答者には端から処女がいない可能性がある(「ファッションタイプ別性体験率」や「ファッションタイプ別なりたい職業、してみたい仕事」のアンケートはあるが、「ファッションタイプ別初交経験率」などの調査記録は掲載されていなかった)。

素材・道具への偏愛[編集]
上記項目にもあるように、タイツ・ストッキングなどの伸縮生地、男性用スーツや女性用ブレザーなどのウール化繊、女性用フォーマルドレスなどの艶に富んだ華美な生地(特にサテン・ジョーゼット・オーガンジーといった化繊や、シルク生地)といった特定の生地素材に対する偏愛・執着。
ラバーフェティシズムと呼ばれる天然ゴムやPVCの感触に対する性的嗜好の固着は欧米を中心に発達している。欧米では専門誌も多い。また全身タイツフェティシズムは全身タイツを纏う事で性的嗜好を得るもので、日本で生まれ世界に広がったとされる。
風船に性的興奮を覚える人が膨らましたり、抱いたり、破裂させたり、等色々な行為をして楽しむことがあり、どうやら、破裂する寸前の洋梨形や、割ることに興奮を覚えるという。自分だけで楽しんでいる人が多く、世間には危害を与えない。最近では風船フェティシズムをテーマにしたDVDが日本では多数つくられている。

状態への偏愛[編集]
ウェット&メッシーと呼ばれる、対象の濡れた姿、あるいは泥水や汚泥にまみれた姿に対する偏愛が存在する。水着姿の女性が全身を使って車を洗うという「カーウォッシュ(ガール)フェティシズム」は日本ではほぼ皆無だが、アメリカではメジャーなフェティシズムである。類似のものとして異性の衣裳を損壊させたり切り裂いたりした状態(リッピング)に対する偏愛、衣服を焼却する偏愛も存在する。いずれも「対象の状態」に注視しているフェティシズムといえる。 対象の姿のみならず、自身でそういう遊びをすることを好む者も存在する。

煙草を吸う女性、太った異性、妊娠した女性など特殊な状態の対象者に執着する嗜好が存在する。
ギターを弾く男性の手指・ピアノを弾く女性の手指・裁縫をする女性の手指・サッカーをしている男性の脚といった、特定行動下における異性への偏愛など。

脚注[編集]
1.^ 大槻ケンヂ大槻ケンヂ短編集 ゴスロリ幻想劇場』 インデックス・コミュニケーションズ、12月16日
2.^ a b c d 大槻ケンヂ『ビヨンド・ザ・ロック 第十三回』2005年12月16日
3.^ 筋肉少女帯オフィシャルブログ「筋少の大ブログ」
4.^ 大槻ケンヂ『ロッキン・ホース・バレリーナ』 メディアファクトリー、2004年7月6日発行
5.^ 京都精華大学情報館文化情報課編『木野評論Vol.34“有名する”ひとびと-21世紀のメディアと表現』吉光正絵「ゴスロリ-ロック・カルトの現在形」 京都精華大学情報館、2003年3月15日発行(56-61頁)
6.^ 三浦展、スタンダード通信社『日本溶解論-この国の若者たち』 プレジデント社、2008年3月17日発行(72頁)
7.^ 三浦展、スタンダード通信社『日本溶解論-この国の若者たち』 プレジデント社、2008年3月17日発行(10頁)

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