歌よみに与ふる書

底本:「歌よみに与ふる書岩波文庫岩波書店
   1955(昭和30)年2月25日第1刷発行
   1983(昭和58)年3月16日第8刷改版発行
   2002(平成14)年11月15日第26刷発行
入力:網迫、土屋隆
校正:川向直樹
2004年8月10日作成
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歌よみに与ふる書

正岡子規




    歌よみに与ふる書

 おおせごとく近来和歌は一向に振ひ不申もうさず候。正直に申し候へば万葉以来実朝さねとも以来一向に振ひ不申候。実朝といふ人は三十にも足らで、いざこれからといふ処にてあへなき最期を遂げられ誠に残念致し候。あの人をして今十年もかして置いたならどんなに名歌を沢山残したかも知れ不申候。とにかくに第一流の歌人ぞんじ候。あなが人丸ひとまろ赤人あかひと余唾よだねぶるでもなく、もとより貫之つらゆき定家ていか糟粕そうはくをしやぶるでもなく、自己の本領屹然きつぜんとして山岳さんがくと高きを争ひ日月と光を競ふ処、実におそるべく尊むべく、覚えずひざを屈するの思ひ有之これあり候。古来凡庸の人と評し来りしは必ずあやまりなるべく、北条氏はばかりて韜晦とうかいせし人か、さらずば大器晩成の人なりしかと覚え候。人の上に立つ人にて文学技芸に達したらん者は、人間としては下等の地にをるが通例なれども、実朝は全く例外の人に相違無之これなく候。何故と申すに実朝の歌はただ器用といふのではなく、力量あり見識あり威勢あり、時流に染まず世間にびざる処、例の物数奇ものずき連中や死に歌よみの公卿くげたちととても同日には論じがたく、人間として立派な見識のある人間ならでは、実朝の歌の如き力ある歌はみいでられまじく候。真淵まぶちは力を極めて実朝をほめた人なれども、真淵のほめ方はまだ足らぬやうに存候。真淵は実朝の歌の妙味の半面を知りて、他の半面を知らざりし故に可有之これあるべく候。
 真淵は歌につきては近世の達見家にて、万葉崇拝のところなど当時にありて実にえらいものに有之候へども、せいらの眼より見ればなほ万葉をもめ足らぬ心地ここちいたし候。真淵が万葉にも善き調ちょうありあしき調ありといふことをいたく気にして繰り返し申し候は、世人が万葉中の佶屈きっくつなる歌を取りて「これだから万葉はだめだ」などと攻撃するを恐れたるかと相見え申候。固より真淵自身もそれらを善き歌とは思はざりし故に弱みもいで候ひけん。しかしながら世人が佶屈と申す万葉の歌や、真淵が悪き調と申す万葉の歌の中には、生の最も好む歌も有之と存ぜられ候。そを如何いかにといふに、他の人は言ふまでもなく真淵の歌にも、生が好む所の万葉調といふ者は一向に見当り不申候。(もっともこの辺の論は短歌につきての論と御承知可被下くださるべく候)真淵の家集かしゅうを見て、真淵は存外に万葉の分らぬ人とあきれ申候。かく申し候とて全く真淵をけなす訳にては無之候。楫取魚彦かとりなひこは万葉を模したる歌を多く詠みいでたれど、なほこれと思ふ者は極めて少く候。さほどに古調は擬しがたきにやと疑ひをり候処、近来生らの相知れる人の中に歌よみにはあらでかへつて古調をたくみに模する人少からぬことを知り申候。これにりて観れば昔の歌よみの歌は、今の歌よみならぬ人の歌よりも、はるかに劣り候やらんと心細く相成あいなり申候。さて今の歌よみの歌は昔の歌よみの歌よりも更に劣り候はんには如何いかが申すべき。
 長歌のみはやや短歌と異なり申候。『古今集こきんしゅう』の長歌などははしにも棒にもかからず候へども、箇様かよう長歌古今集時代にも後世にも余り流行はやらざりしこそもつけのさいわいと存ぜられ候なれ。されば後世にても長歌を詠む者にはただちに万葉を師とする者多く、従つてかなりの作を見受け申候。今日とても長歌を好んで作る者は短歌に比すれば多少手際てぎわ善く出来申候。(御歌会派おうたかいはの気まぐれに作る長歌などは端唄はうたにも劣り申候)しかしある人は難じて長歌が万葉の模型を離るるあたはざるを笑ひ申候。それももっともには候へども歌よみにそんなむつかしい事を注文致し候はば、古今以後ほとんど新しい歌がないと申さねば相成間敷まじく候。なほいろいろ申し残したる事は後鴻こうこうゆずり申候。不具。
(明治三十一年二月十二日)

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神風特別攻撃隊

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 神風特別攻撃隊(しんぷうとくべつこうげきたい、かみかぜとくべつこうげきたい)は、大日本帝国海軍航空機による特別攻撃隊である。太平洋戦争の末期に資源・人材に困窮して追い詰められた大日本帝国海軍で、1944年10月20日大西瀧治郎海軍中将によって編成された艦船を目標とする航空機による特別攻撃隊であり、開始時こそ戦果を挙げたが、アメリカ軍の対策により一時的なものに終わり、戦局を覆すことはなかったが、1945年8月15日の終戦まで続けられた。最も有名な特別攻撃隊である。

「しんぷう」が正式な読み方であるが、訓読みの「かみかぜ」が定着する[1]。神風の名称は、一航艦首席参謀猪口力平中佐が郷里の道場神風(しんぷう)流」から取ったものである[2]。「神風特攻隊」「神風」と略されるほか、アメリカなどでは特攻全般を含めて「カミカゼ」と称されることもある。

特攻全般については「特別攻撃隊」を参照せよ。また、陸軍航空隊の特攻隊である万朶隊振武隊などとは戦史上厳密に区別されることに注意しなければならない。

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鴨長明

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 下鴨神社境内にある摂社。河合神社は鴨長明ゆかりの社
 
 河合神社内にある長明の方丈

 

鴨 長明(かも の ちょうめい、久寿2年(1155年) - 建保4年閏6月10日1216年7月26日))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人随筆家。俗名はかものながあきら禰宜・鴨長継の次男。位階従五位下菊大夫とも号した。

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