服部半蔵

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服部 半蔵(はっとり はんぞう)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて松平氏から徳川氏の麾下で活躍した者を指す。代々「半蔵」を通称の名乗りとした服部半蔵家の歴代当主である。また、歴代の当主は石見守(いわみのかみ)という百官名も持ち、服部石見守とも称した。詳細は不明であるが、忍者だったのは初代だけであり、2代目以降は忍者ではなかったとされる。 

歴代

初代 服部半蔵(半三)保長

生没年不詳。伊賀出身の忍者。伊賀を出て室町幕府12代将軍足利義晴に、続いて三河にて松平清康に仕える。

2代目 服部半蔵正成

徳川家康に仕えた、伊賀同心の支配役。いわゆる「服部半蔵」として世間でよく知られるのは彼の事である。だがあくまで伊賀同心は配下の一部門であり、自身は甲冑を着て足軽を率いた武士である。

3代目 服部半蔵正就

父である正成の死後、伊賀同心200人の支配を引継ぐ。しかし徳川家から指揮権を預けられたに過ぎない伊賀同心を家来扱いしたために配下の同心たちの反発を招き、ついに伊賀同心が寺に篭って正就の解任を要求する騒ぎに至った。このため正就は伊賀同心の支配の役目は解かれた。後の大坂の陣で行方不明になる。

4代目 服部半蔵正重

2代目正成の次男で、3代目正就の弟。兄の後を継いで服部半蔵を襲名する。舅である大久保長安に巻き込まれて大久保長安事件で失脚。その後各地を転々とした後、松平定綱に召し抱えられて二千石を得る。これにより桑名藩の家老として服部半蔵家は存続する(大服部家)。

ちなみに、兄・正就の妻は桑名藩松平定勝の姉であり、その子・服部正辰(正重の甥)も桑名藩に仕えている。血統から藩主一族の扱いを受け、服部半蔵家以上に優遇されている(小服部家)。

12代目 服部半蔵正義

弘化2年(1845)9月29日生まれ。21歳で(大服部家)家督を継ぎ桑名藩家老となる。藩主の松平定敬京都所司代となり、その補佐として正義も京に赴く。慶応4年、鳥羽・伏見の戦いに桑名軍を率いて参戦、明治元年閏4月には転戦した柏崎の鯨波戦争では指揮官を務める。同年9月26日に庄内にて降伏。官軍に身柄を拘束され謹慎処分となるが、明治2年12月、桑名藩の戦後処理の終了と共に謹慎が解かれ自由の身となる。その後は桑名藩の要職を務め明治19年(1886)に没した。

関連する作品

歴史上の服部半蔵は伊賀者の統率者であっても自身の忍者としての性格は薄いが、現代では服部半蔵は最も名の知れた伊賀忍者のひとりとなっている。このため、服部半蔵という名前の忍者、あるいはそれをモチーフとするキャラクターが登場する小説時代劇漫画ゲームなど数知れず存在する。

小説作品では、山田風太郎の最初の「忍法帖」作品で代表作のひとつ『甲賀忍法帖』に三代目が登場し、同作を題材にした漫画『バジリスク 〜甲賀忍法帖〜』、劇場映画『SHINOBI』にも同じ役柄で登場した。

映像化作品では全6作が制作された映画『新・影の軍団』やテレビドラマ『服部半蔵 影の軍団』にて、千葉真一服部半蔵を演じた。近年では映画『キル・ビル』にも服部半蔵が登場するが、これは監督のクウェンティン・タランティーノがこの服部半蔵 影の軍団シリーズのファンであったため、同じ千葉真一に出演依頼したのである。

その他、横山光輝による『伊賀の影丸』および『兵馬地獄旅』、小池一夫の『男弐』第二部 (画・伊賀和洋)などで漫画化されている。また、白土三平による『サスケ』や小山ゆうの『あずみ』、藤子不二雄Aの『忍者ハットリくん』を始めとして、登場人物のひとりとして活躍する漫画作品も数多く刊行された。

関連項目

 
 
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