日本 2
法・政治
日本国憲法上、同憲法を最高法規とし、この下に、国会が制定する法律、内閣が制定する政令や各省庁が制定する省令などの命令、地方公共団体が制定する条例など、各種の法令が定められる。憲法上、裁判所は、全ての法令や行政行為などが憲法に適合するか否かを最終的に判断する違憲立法審査権を有し、最高裁判所を終審裁判所とする。もっとも、いわゆる司法消極主義に基づき、国会や内閣など政治部門の判断への干渉は、控えられることが多い。
日本国憲法
第二次世界大戦の後、1946年(昭和21年)11月3日公布、1947年(昭和22年)5月3日施行。改正されたことはない。硬性憲法に分類される。
日本国憲法は、憲法第13条・個人の尊厳(個人の尊重)をその根本に置き、次の三つを三大原理とする。
統治機構は、憲法上、立法権を国会に、司法権を裁判所に、行政権を内閣に、それぞれ分配する三権分立を採る。また、内閣が国会の信任に拠って存在する議院内閣制を採用する。
長らく、戦争の放棄、戦力の不保持を定めた9条を巡って憲法改正論議が行われている。なお、一部には、現行憲法の制定に法的瑕疵があったとして無効を主張し、今も大日本帝国憲法が有効であるとする者もいる。
天皇・皇室 (皇室制度)
(一般には「皇室」。宮内庁による正式な名称は「皇室制度」。元は共産党が体制を指す造語だったが俗語として「天皇制」と呼ばれることがある。) 天皇は、第二次世界大戦後から現在まで、日本国憲法に「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(憲法1条)と位置づけられ、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とされる(同条)。その地位(皇位)は、世襲によって受け継がれ、国会の議決する皇室典範の定めるところによって継承される(憲法第2条)。憲法の定める国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しない(憲法4条1項)。但し、国事行為の他、象徴たる地位に基づく公的行為を行う。 また、日本国政府は「立憲君主制と言っても差し支えないであろう」としているが、日本国憲法には明記されていない[99]。明治期に制定された大日本帝国憲法には、立憲君主制であることが明記されていた。
国政
国会は、衆議院と参議院との二院からなる二院制(両院制)の議会である。「国権の最高機関」であり、「国の唯一の立法機関」とされる(憲法41条)。衆議院・参議院は、いずれも全国民を代表する選挙された国会議員によって組織される。ただし、法律や予算、条約の議決、内閣総理大臣の指名、内閣不信任決議などにおいて、衆議院に参議院よりも強い権限が与えられている(衆議院の優越)。これは、衆議院解散があり、任期も短いため、より民意を反映しているため、と説明される。
内閣は、首長たる内閣総理大臣と、その他の国務大臣からなる合議制の機関である。内閣総理大臣は、国会議員でなければならない。国会が指名した人物は、天皇により儀礼的・形式的に任命され、内閣総理大臣に就任する。国務大臣は、内閣総理大臣が任命し、天皇が認証する。国務大臣の過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。内閣総理大臣、その他の国務大臣は、文民でなければならない。内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う一方、衆議院の実質的な解散権を持つとする見解が多数説となっている(日本国憲法7条3項および69条を参照のこと)。
国会では、国会議員のみが法案提出権を持つ。国会で審議される法案の大多数は、内閣が提出する政府提出法案(閣法)であり、国会議員が発議する法案(議員立法)が少ない。政府提出法案は、内閣の下に置かれる省庁が国会の多数を占める与党との調整を経て作成するため、省庁の幹部公務員(キャリア官僚)の国政に対する影響力が強い。選挙には地盤・看板(知名度)・カバン(選挙資金)の「3バン」が必要とされることから、世襲政治家が多い。1970年代以降は中曽根康弘や小泉純一郎といった例外を除いて、内閣総理大臣の任期はせいぜい2年にとどまり、2006年以降は1年前後の任期が続いた。
- 55年体制とその後
- 国会では、1955年(昭和30年)に結党された自由民主党(自民党)が、一貫して最多の議席を占めていた。同年に統一された日本社会党(社会党)と共に、「55年体制」と呼ばれる政治体制を形作った。この体制は、自民党が与党として党の総裁を国会で内閣総理大臣に指名し、同党議員の中から国務大臣を任命して内閣を組み、社会党が野党として自民党と対立・協調しながら、国政を運営するものである。新自由クラブと連立政権を組んだ1983年(昭和58年)から1986年(昭和61年)までの一時期を除き、1993年(平成5年)までの約40年間、自民党の単独政権が続いた。
- 1993年(平成5年)に自民党羽田派が離党して新生党を結党し、非自民・非共産連立政権である細川内閣が成立したことで自民党が政権を離れ、55年体制が崩壊した。翌1994年(平成6年)6月に自民党・社会党・新党さきがけの自社さ連立政権である村山内閣が成立して自民党が政権に復帰。次の橋本内閣以後、自民党は連立相手を組み替えながら総裁が内閣総理大臣に就く時代が再び続いたが、2009年(平成21年)8月の衆議院議員総選挙で大敗、衆議院第1党から転落し、翌9月に民主党・社会民主党・国民新党からなる民社国連立政権、鳩山由紀夫内閣が成立。民主党を中心とする連立政権は2012年12月の衆議院議員総選挙での敗北で終焉を迎え、自民党が再び政権に復帰した。
地方政治
地方自治は、基礎的な団体である市町村、広域的な団体である都道府県の二段階から成る、地方公共団体が担う。
- 市区町村
- 市が787、町が748、村が184、合計1719[100]。他に、特別地方公共団体として、東京都に23の特別区(2012年(平成24年)1月4日現在)が設置されており、市に準じた権限を持つ(地方自治法第281条第2項・第283条)。
- 執行機関たる市町村長、議決機関たる市町村議会[101]が置かれ、いずれも住民から選挙される。
- 財産を管理し、地域の事務を取り扱い、行政を執行する。法律の範囲内で条例を定める。特に規模が大きい市は、政令指定都市として、農林水産行政に関する権能などを除いて都道府県並みの権限を有する。
- 「市」は「し」と読まれるが、「町」は「まち」・「ちょう」、「村」は「むら」・「そん」の読みが混在している。
- 平成の大合併によって、市町村の再編が進んだ。
- 都道府県
- 都が1、道が1、府が2、県が43、合計47。
- 都は特別区に関する一定の調整機能を有するが、府県の間には法律上の違いはなく、名称の差異は歴史的なものである[102]。道も地方自治法上は府県と同格であるが、特別法に道について若干の特例を定める(警察組織につき警察法第46条・51条など)。
- 執行機関たる都道府県知事、議決機関たる都道府県議会が置かれ、いずれも住民から選挙される。
- 市町村を包括し、より広域的な行政を行う。法律の範囲内で条例を定める。
現在、東京一極集中を緩和して地方分権を進めるため、都道府県を解消して更に広域的な道州を置く道州制の導入が検討されている(日本の道州制論議)。また、大阪都や中京都のように特別区をつくる運動もある。
法制
明治維新以来、信託等一部の民法の規定を除き、大陸法系(特にドイツ法及びフランス法)を基礎としているが、象徴天皇制や議院内閣制に英国法、最高裁判所以下司法についての規定につき米国法の影響を強く受けているなど、憲法を中心として英米法の影響も見られる[103]。日本国憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法を総称して六法と称する。この六法が日本の法令の基本を成し、日本の法学の基本的な研究分野と考えられてきたことによる。商法のうち、企業に関する定めの多くは、会社法に分けられた。刑法には、死刑、懲役、禁錮、罰金、拘留、科料、没収が刑罰として定められている。死刑制度のあり方を巡っては、憲法の制定の当時から議論がある[104][105][106][107][108][109][110][108]が、判例は死刑制度を合憲としており(死刑制度合憲判決事件)、いわゆる「永山基準」を「死刑選択の許される基準」としている[111]。2009年(平成21年)より、刑事事件につき重大な犯罪について裁判員制度が導入されている。
報道の自由
戦後、憲法によって表現の自由・報道の自由が保障され、建前上、報道に関する政府からの介入は存在しないことになっている。
しかしながら、実際は、記者クラブ制度によって加盟している大手マスメディアのみが記者会見を独占し政府や行政機関などからの情報を受けるメリットを享受している。記者クラブが開催している会見は、加盟マスコミ以外を排除しており、報道の自由を侵害しているとフリージャーナリストや外国などからの批判が多い。
テレビ・ラジオ放送については放送法により、中立な内容が義務付けられており、政府が発行する免許が必要である。NHKの予算は、国会の承認が必要である。
新聞については、再販制度の存廃など、様々な形で事実上の介入が行われている。
大手マスコミ社長などが、首相や有力政治家などと会食などを繰り返して私的に癒着しているのは、先進国では異例であり問題とされる。
また、収入源の広告料収入を大企業に頼る大手マスメディアは、スポンサーとなりうる大企業を批判することに慎重であり、また中国をはじめ大企業が依存する国家に対しても慎重な態度を取る。一方、一部団体の抗議の対象になるのを避けるため、「放送禁止用語」や「出版禁止用語」を定めて差別的な表現や下品な表現を「自粛」・「自主規制」することが行われている。また、現在進行中の誘拐事件など人命に関わる場合などにも「自主規制」の対象になる。
なお、近年に発生した報道機関を狙ったテロとしては、未だ解決に至っていない赤報隊事件がある。国境なき記者団が作成する報道の自由度を示すランキングでは、調査対象国180ヶ国中、61位(2015年)である。各国を5段階に分けた分類では、上から3番目の『顕著な問題のある国』にカテゴライズされる。国境なき記者団は日本における課題として、記者クラブ制度により外国人ジャーナリストやフリージャーナリストによる情報のアクセスが妨げられていること、「東日本大震災で発生した津波や原発事故に関しての過剰な報道規制」などを挙げている。また2007年度の調査では「過激なナショナリストによる報道機関への襲撃の減少が見られる」と述べていた[112][113]。
外交・国際関係
米国との関係を最も重視し、世界中の国と友好関係を築いているといわれている。外交の基軸として国際連合を中心に各国と幅広い外交を行い、援助や貿易を行っている。伝統的に地理的に近い東アジア各国と強い関係を保ってきた。更に、太平洋戦争敗戦後に日本の占領を担い、解除後も多大な影響力が行使されるアメリカ合衆国(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)を最重視している。東南アジアやオーストラリア、西ヨーロッパ各国との関係も深い。
国際連合
国際連合 :日本はかつて国際連盟を脱退し、連合国(国際連合)(United Nations)を相手に第二次世界大戦を戦い敗れたという経緯がある。国際連合は戦後も継続し、日本は敵国条項によって現在も敵国の位置づけである。1956年(昭和31年)にソ連との国交を回復し、加盟を果たした。これまでに非常任理事国として最多選出されている。また、敵国の位置づけにありながら世界第2位の国連分担金を担うという矛盾した状態になっている。国連改革の一環としてドイツ、インド、ブラジルなどと常任理事国の拡大を訴えている。日本人職員の数は、少ない。日本の知識層の多くは、多大な貢献に比べ、恩恵や評価を受ける以前に敵国条項すら削除されないと指摘している。
長く、国連の武力行使を支持しても、経済援助のみに関与する、という慎重姿勢を取り、湾岸戦争でも巨額の戦費負担をしたが、戦力を出さなかった。しかし、近年、PKO協力法などの成立に始まり、課題を残しつつも法的根拠が整った。イラク戦争終結後、自衛隊を派遣して復興支援活動に携わるなどの機会も増えている。
アジア・オセアニア
東アジアでは、古来、地理的に近い中国や朝鮮などを中心に外交が行われていた。日本は儒教・漢字文化圏の一角であり、伝統的な文化の中には、雅楽、水墨画、陶磁器、禅宗、書道など、東アジアをルーツに持つ物が多い。明治以降、西洋文化を取り入れて発展した日本の文化が逆に東アジアに伝播した。欧米を始めとする世界中との外交が盛んになるのは、明治維新以降である。かつて日本領であった台湾や韓国は、現在でも重要な貿易相手である。一方、北朝鮮に対しては、日本は国家承認しておらず、国交もなく、経済制裁を行っている。日本、韓国、台湾は、それぞれアメリカ軍と同盟関係・安全保障関係にあり、相互に緩やかな協力関係にある。一方、北朝鮮と中国とは同盟関係にあり、中国とロシアも協力関係にある。
東南アジア諸国とは、基本的に友好関係を構築しており、タイ、フィリピン、マレーシアなど経済的にも文化的にも関係が深く、互いの国民に対する感情も良いとされる。また、日本は、これら各国との自由貿易協定(FTA)の締結を模索している。自衛隊のPKOとしての派遣も、初の派遣がカンボジアへ、また東ティモールへも派遣された。東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国との間で定期的に首脳会談を行い、関係を重視している。また、この海域(特にマラッカ海峡)は、中東から輸入した原油の9割近くが通過するなど非常に重要なルートであるが、海賊が頻繁に出没する。その対策として、海上保安庁が各国の沿岸警備隊に対して指導・共同訓練を行っている。以下のように、各国との関係は基本的に良好な状態にある。
オセアニアの中でも南洋諸島の各国は、かつて日本が委任統治領ないし占領地として統治下に置いていたこともあり、関係が比較的深い。ミクロネシア連邦では、日系人のトシオ・ナカヤマやマニー・モリが大統領に選ばれている。パラオは、かつて日系のクニオ・ナカムラが大統領に就任し、一部の自治体で日本語が公用語として採用されている(実際に日本語を日常的に使用しているわけでなく、象徴的な意味合いが強い)などの経緯もあり、官民とも非常に親日的である。
中華人民共和国 :日本は1972年日中共同声明および1978年日中平和友好条約締結にともない、中華人民共和国との国交を正常化した。改革開放政策の後、経済的な成長を遂げて多くの日系企業が生産拠点を持ち、また、2006年(平成18年)より貿易総額でアメリカを上回って最大の貿易相手国となった[114]。靖国神社問題に関連して関係が悪化した。日本では、2005年の中国における反日活動なども盛んに報道され、また、2008年(平成20年)6月、アメリカの民間調査機関ピュー・リサーチ・センターの調査では、中国を好ましくないと答えた割合が84%(前年比17%増)となり、調査した24カ国の中で最も高かった。また、日本人の中国への旅行者も減少した。一方、中国では、前年比から9%減少したが、それでも69%が日本を好ましく思っていないという調査結果となり、依然として両国民が相互に反発していることが明らかとなった。中国の報道は中国共産党の統制下にあり、一般国民に日本からのODAや謝罪などが周知されているとは言いがたいが、四川大地震に際しての国際緊急援助隊の救援活動など、中国人からの感謝の意が表れる出来事もある。2010年(平成22年)以降、経済規模で日本を抜いて成長し、無視できない存在となっている。
軍事面では日本全土を射程に収める核弾頭を搭載可能な弾道ミサイル東風21型を推定100発、精密攻撃が可能な巡航ミサイル東海10型・長剣10型を推定600発保有しており日本の脅威となっている[115]。
北朝鮮 :現在、国交が無い。北朝鮮は、韓国併合に対する評価や賠償問題・請求権問題、いずれについても決着していないとする立場である。日本政府は、日韓基本条約に基づいて韓国政府のみが朝鮮半島の正統な政府であるとの立場である。また、賠償問題も韓国との条約によって解決済みとの立場である。2002年(平成14年)の日朝首脳会談では、賠償権を相互に放棄し、日本が北朝鮮へ経済協力を行う方法で合意したと発表されたが、その後、国交正常化交渉の停滞を招いている。背景には、北朝鮮による日本人拉致問題や不審船事件などに対する日本の世論の反発や北朝鮮核問題などで孤立を深める北朝鮮の現状がある。日本は、現在これらを受けて経済制裁を北朝鮮に行っている。北朝鮮は、核カードを使ってアメリカからテロ支援国家指定の解除を引き出した。2012年4月北朝鮮は自国憲法に核保有国と明記した[116]。軍事面では西日本を射程に収める短距離弾道ミサイルのスカッドERを推定350発、日本のほぼ全域を射程に収めるノドンミサイルを推定200発保有しており、日本の安全保障上深刻な脅威となっている[117]。
大韓民国 :建国当初より反日感情が強く、朝鮮戦争中には韓国を支援するために掃海部隊や港湾労働者を韓国に派遣するとともに日本国内での韓国軍の軍事訓練を受け入れるなどしたが、1952年には韓国が一方的に李承晩ラインを宣言し竹島を占拠したことによって多くの日本人漁師が殺害・拿捕され、竹島問題が発生した。また、日本に潜入した工作員によって新潟日赤センター爆破未遂事件や金大中拉致事件などの事件が起こされている。李承晩独裁政権を打倒した朴正煕は国民の反発を押しきって日韓条約を結び、日本との国交を樹立、日本から得た賠償金を経済成長の原資としたが、これを国民に隠していたために後に植民地支配の賠償をめぐる紛争が起きる原因となった。韓国では近年まで日本の大衆文化禁止政策が続けられていたが、金大中政権で日本の大衆文化の自由化が進められ、日本への親近感を持つ人々の増加も見られた。盧武鉉政権では当初は日本との融和姿勢を見せたものの、間もなく強硬な外交方針に転じ、日本との領土問題や歴史問題にも強い姿勢で臨んだ。2005年、盧武鉉大統領はアメリカに対して日本を仮想敵国として想定するように提案した[118]。政権時代後半には竹島問題などで「対日外交戦争」を公言し、小泉純一郎首相の靖国神社参拝などもあって日韓関係は冷え切っていた[119]。李明博政権では、前政権で悪化した近隣諸国との関係を修復し、日本にも比較的穏健な姿勢で臨む方針を当初は見せたが、天皇への謝罪要求や知的財産や漁業権の侵害や竹島問題など根本的な改善の兆しは見えていない。韓国軍は日本全土を射程に収める巡航ミサイル玄武-3ミサイルを配備している。これに伴い韓国での日本大衆文化の流入制限も徐々に制限を緩和しつつある[120][121]。2010年(平成22年)9月、SKE48が日本語で歌う姿が韓国の地上波で初めて生放送された。両国間で日韓犯罪人引き渡し条約を締結しているが、靖国神社に放火した犯人を政治犯として釈放したことについて、総理大臣安倍晋三は条約を無視する行為であると述べた[122]。
中華民国 :台湾は、日清戦争で日本に割譲されて以来50年間の日本統治時代を経験している。第二次世界大戦後は国共内戦で共産党軍に敗北した中国国民党が1990年代まで独裁を敷いてきた。かつて日本は中華民国を中国の代表政権と見なしていたが、1970年代の日中国交正常化の際、日本は中華人民共和国を正当な国家として認定し、かつ中華人民共和国に配慮し台湾を独立した国家とはみないことを約束した。日本政府は現在までこの中華人民共和国優先政策を対中台外交の基本姿勢としている。2011年現在も台湾を国家として承認しておらず、双方ともに大使館を配置しない代わりに民間の利益代表部を置く。1996年に国民党一党独裁が解消され、その後は国民党と民主進歩党との二大政党である。日本統治時代を経験した多数派の本省人が親日的傾向が強いのに対し、政治的実権を握っていた少数派の外省人は、反日姿勢が強いと言われていたが、1990年代には本省人である李登輝が総統となるなど融和が進んだ。安全保障において台湾は、台湾関係法などを背景にアメリカ軍と密接な関係にあり、日米安保体制を持つ日本とも間接的な協力関係にある。1970年代以降、日台間でも尖閣諸島の領有問題があり係争も起きたが、深刻な対立に至っていない。人的・経済的な交流は、一貫して盛んで、特に近年は李登輝政権以降の台湾本土化運動の結果として国民の親日姿勢が強まる傾向にある。2011年の東日本大震災では台湾から世界最多となる200億円超の義援金が日本に送られた。海外で初めて日本の新幹線システムの一部を採用した。
タイ :タイ王室と皇室との関係も良好で、日本とタイの貿易結合度は第一位となっており、世界とタイとの平均的な結合度の4倍となっている[123]。
フィリピン :フィリピンの主要貿易相手国はアメリカと日本であるが、近年は中国や韓国との貿易も増えている。在日フィリピン人は、在日外国人として国籍別で第4位の人口を有する。
ベトナム :ベトナムは、ベトナム戦争において日本と安全保障関係にあるアメリカ合衆国と交戦した共産党独裁政権であるが、ベトナム戦争終結前の1973年には日本との国交を樹立し、日本はベトナムに多額の開発援助を続けてきた。近年も日本の常任理事国入りをどのような圧力を受けたとしても支持すると表明するなど日本に協力的である[124]。
シンガポール :日本・シンガポール新時代経済連携協定を結び、日本にとって初の自由貿易協定締結国である。
カンボジア :日本からは経済面での支援や地雷撤去の活動なども精力的に行われている。また、文化面でもクメール・ルージュによって破壊・弾圧された仏教の施設や信仰の復興に、日本の仏教界が大きく貢献している。カンボジアは日本の常任理事国入りについて不変の支持を行っている[124]。
インドネシア :独立の際に一部の日本人が関与したこともあり、親日派もいた一方、1960年代の政局の混乱のなか共産党勢力の台頭に伴い中国等へ接近した。2001年のアメリカ同時多発テロによって米国との関係が悪化し、2005年まで武器禁輸などの制裁を受けた。そのためロシアや中国との関係強化をすすめ、多極外交を展開している。日本との関係は良好で、LNG貿易をはじめ日系企業も多数進出し、また日本の政府開発援助(ODA)はハードインフラ整備に加え、市民警察活動促進計画[125]など統治能力支援(ガバナンス支援)や法整備支援[126]などソフトインフラ整備の支援も近年行っている。スマトラ島沖地震では、金額で国別3位の支援を早急に決めて拠出し、更にアチェ州へ海上自衛隊の艦艇を派遣した。防災システムの構築にも支援を行っている。
アメリカ合衆国 :軍事・経済・政治すべてにおいて緊密な関係にある。黒船来航から始まる経済関係は、アメリカ合衆国の経済力を背景に大きなものであり続け、2006年(平成18年)まで最大の貿易相手国だった。太平洋戦争(第二次世界大戦)では、東アジア・西太平洋地域で4年間戦った末に降伏し、米軍を中心とした連合軍に占領された。アメリカ合衆国はGHQを通して7年の占領統治で中心的な役割を果たした。日本はサンフランシスコ平和条約にもとづき主権が回復するが、依然として米軍に安全保障を委ねる関係は続き、翌年には日米安保条約が締結され日米同盟が成立した。アメリカ合衆国にとっても本土から遠い極東に基地用地を提供し、多額の駐留費用を負担する同盟国の存在は重要なものであり、強固な同盟関係が続けいてる。これについて反対運動、特に基地の地元住民の米軍基地反対運動と基地移転問題が外交問題に発展することもある[127][128]。日米関係は親密であるがゆえに時として摩擦も大きくなることがあり、ジャパンバッシングのような現象が起きることがある。そしてアメリカ合衆国政府の意向は、対日要望書などの形を通して日本に伝えられ、日本の政策決定に影響力を与える「外圧」となっているとされる。また、犯罪人引渡し条約を結ぶ数少ない国の一つである。
オーストラリア :オセアニアで最大の影響力を持つオーストラリアと非常に緊密な関係を築いている。日米豪の防衛首脳会談が行われたこともあり、経済、軍事、外交などで共同歩調を取る。2007年(平成19年)3月には、自衛隊とオーストラリア軍とが国際連合平和維持活動(PKO活動)の共同訓練、反テロ活動、津波など地域災害に協力して当たることなどが盛り込まれた安全保障協力に関する日豪共同宣言に調印した。これにより、日本にとって安保分野で正式な協力関係を結ぶ(アメリカに続く)2番目の国となる。
ロシア :日露関係は断続的に関係が深まる時期をはさみつつも、対立の時期が長い。これはロシアが伝統的に南下政策を取り、太平洋への出口を求めたため、通り道の日本との間に地政学的な対立構造があるからである。満州・朝鮮半島の支配権をめぐって1904年(明治37年)に始まった日露戦争や、1917年(大正6年)に起こったロシア革命に日本などの諸国が干渉して起こしたシベリア出兵、終戦直前にソ連軍が日ソ中立条約を一方的に破棄して日本支配地域に侵攻したソ連対日参戦などが起こってきた。日本のポツダム宣言受諾による終戦後も南樺太と千島列島への侵攻を続け併合し、日本人を捕虜として連行してシベリア抑留するなどの行為が日本の人々の反感を生み、1956年(昭和31年)の日ソ共同宣言で一応国交が回復した後も、冷戦の中で緊張関係が続いてきた。1986年(昭和61年)以降に関係の改善が進み、現在の両国の間では、経済的な交流も盛んだが、領土問題やそれに起因する漁民銃撃・拿捕事件、資源問題(サハリン2を参照)なども生じており、その関係は円滑ではない。
ユーラシア
南アジア各国とは友好関係を保っている。日本は被爆国であるため、核実験を行ったインドやパキスタンと距離を置いていた時期もあったが、近年、両国との関係が重視されるようになり、2006年(平成18年)に外務省アジア大洋州局に南部アジア部を新設した。
中央アジア諸国は、かつてシルクロード経由で日本へも文化的な影響を及ぼしていたが、現在の人的な関係は乏しい。また、経済基盤の貧弱な国が多く、更に海に面していないために輸送コストなども掛かるなどの理由から、一部の希少な地下資源を除き、貿易などの経済的な関係も他地域と比べて活発と言えない状況にある。ただ、この地域に栄えた古代王朝や仏教遺跡の研究などの学術関係での交流は活発である。
西アジアは主要な原油供給元であり、経済的に密接な関係を保っている。しかし文化的交流は比較的乏しい。但し、宗教的な対立要因が無いため、住民の対日感情は比較的良好とされる。
第二次世界大戦以降、西ヨーロッパを中心とする北大西洋条約機構諸国と間接的な同盟関係にある。また、皇室は、イギリスやオランダ、スウェーデン、ベルギーなどのヨーロッパ各国の王室と深い友好関係を築いている。一方、特にオランダなどには、第二次大戦で交戦したことによる悪感情が一部に残っているとも言われる[129]。
インド :今後関係が特に親密になると期待されている国のひとつで、近年の著しい経済発展や、情報技術での実績が注目されている。日本とインドはG4として共に行動する立場であり、2008年(平成20年)10月には、両国首脳が日印安全保障協力共同宣言(日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言)に署名し、日本にとって、アメリカ、オーストラリアに次いで、安全保障分野で正式な協力関係を結んだ3番目の国となった[130]。さらに2010年、日本とインドは関税を段階的に撤廃するFTA(自由貿易協定)を柱としたEPA(経済連携 協定)を締結することで大筋合意した。これが達成されれば、日本からインドへの輸出の約90%、インドから日本への輸出では約97%に相当する物品で、10年以内に関税がゼロになる。
パキスタン :1998年(平成10年)の地下核実験から2005年(平成17年)4月まで援助を停止していた。しかし、自衛隊イラク派遣などで、安全保障の観点から中東への影響力が強いパキスタンの協力が必要と感じた日本政府は、当時の小泉純一郎首相が訪問したのを機に有償資金援助を再開した。
バングラデシュ :世界最貧国の一つとも言われ、日本は、経済、保健、自然災害対策など多くの面で援助を行っている。
アフガニスタン :日本は、バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群の修復などに多額の援助を行っている。アメリカ合衆国が行った武力攻撃を支持したが、部隊の派遣は、自衛隊インド洋派遣に留めている。
イスラエル :日本は、中東和平やパレスチナ問題に関して中立の立場であり、政府高官が訪問する際には、イスラエル・パレスチナ自治政府の双方と会談が設定される等、バランスが図られている。
フランス :日仏関係は、政治・経済面よりも文化面での交流が深い点に特徴がある。フランス文化は、美術、音楽、食文化、文芸などの面で日本の近代化に大きな影響を与えた。
ドイツ :日独関係は、日本が近代化を進めるにあたって、イギリスおよびアメリカ合衆国との関係に次いで重要な役割を果たした。科学技術・音楽・法律・文芸などにおけるドイツの影響は、現在の日本にも色濃く残っている。第一次世界大戦で日本とドイツは交戦国となり、勝利した日本はアジア太平洋におけるドイツの利権を獲得する。第二次世界大戦で日本とドイツは対ソ連を意識して日独伊三国軍事同盟を結んだが、同盟はついに実効的なものとはなり得ず、両国は互いに不本意ながら米英を敵に回し敗北するという結末となった。戦後は、共に焼け野原から奇跡の復興を果たした経済大国として平和的な関係となり、重要なパートナーとしてイギリスやフランスを凌ぐヨーロッパ最大の貿易相手国となった。さらに、政治の面でも共に常任理事国を目指すG4のパートナーとして行動する。
イギリス:日英関係は、江戸時代前期の三浦按針に始まり、途中日本の鎖国や第二次世界大戦による中断をはさみながら長く続いている。特に強調されるのは19世紀後半から20世紀初頭の日本の近代化に果たしたイギリスの役割であり、イギリスは経済・文化・学術・政治・軍事のあらゆる面において日本に最も強い影響力があった。1902年、両国はロシアへの対抗として日英同盟を結び、日露戦争や第一次世界大戦、シベリア出兵において相互に支援を行った。しかし、日中戦争と日独伊三国同盟によって両国は敵対することとなり、第二次世界大戦において交戦国となった。終戦後、イギリスは連合国の日本占領に参加した。占領終了後は経済・文化面でも深い関係を築いている。
中央・南アメリカ
中央アメリカ(中米)諸国とは、人的・文化的な交流に乏しいものの、経済的な関係を中心に平穏な関係を保つ。また、キューバなどの社会主義国とも経済・文化の両面で友好的な関係が築かれ、ペルー日本大使公邸占拠事件でも日本の要請を受けたキューバがゲリラの亡命受け入れを受諾するなど協力した。
南アメリカ(南米)は、地理的に地球の真裏に位置するが、下記のように19世紀の後半からペルーやアルゼンチンと深い友好関係を有する。また、かつて日本からの移民を大量に受け入れた経緯もある。貿易関係では、チリとの関係が特に大きく、戦前からの友好関係が続くアルゼンチンやパラグアイといった親日的な国も多い。
メキシコ :中米諸国の中で最も関係が深い。明治の開国以降に結ばれた日墨修好通商条約は、それまで列強各国の不平等条約に苦しめられてきた日本にとって、初めての平等条約である。その関係で、数ある諸外国の大使館の中でも国政の中枢地区ともいえる永田町に在るのは、メキシコ大使館のみである。多数の日本企業が進出するなど経済的な関係も深い。
ペルー :1872年(明治5年)にマリア・ルス号事件をキッカケに修交が始まった。多くの移民が渡り、ラテンアメリカで二番目に日系人口が多く、1990年代に日系人であるアルベルト・フジモリ(スペイン語で「フヒモリ」)が大統領に就任して急速に関係が緊密化したが、失脚の後、日本に亡命した。
アルゼンチン :1898年(明治31年)、ロシアとの戦争に備えて軍艦リバダビア、モレノをそれぞれ春日、日進として購入し、それらが日露戦争で活躍したことなどから本格的な関係が始まった。また、マルビーナス戦争(フォークランド紛争)の最中、アメリカやイギリスなどからの再三の要請にもかかわらず、アルゼンチンへの禁輸措置を行わないなどの日本の独自外交は、アルゼンチンの知日家から高く評価される。
ブラジル :約180万人という海外で最大規模の日系人社会が築かれていることもあり、政治・経済のみならず、文化的な面からも非常に深い関係を保つ。特に、Jリーグが始まって以降、ブラジル人選手が最多数の外国人選手であり続けている。また、G4として共に常任理事国を目指していることもあり、国際政治上で連携することも多い。
アフリカ
アフリカ諸国は、日本とは歴史的に関係が薄く、観光地としてもエジプトなどの一部を除いて大きな人気があるわけでもない。主に日本からアフリカ諸国への開発援助と、アフリカ諸国からの地下資源や農水産物の輸入と日本からの工業製品の輸出という貿易関係に終始している。
1993年(平成5年)から、ODAなどの経済支援を含む経済的・人的な交流を深める目的で、日本、国際連合、アフリカのためのグローバル連合、世界銀行が共催し、アフリカ開発会議(TICAD:Tokyo International Conference on African Development)を開始した。
近年、アフリカ諸国に大使館を増やすなど関係強化に乗り出している。その背景として、中国が現地に在住の華僑などを活用してアフリカ諸国との関係強化を行っている情況がある。これは、資源確保や国連での票固めなどが目的であると指摘されている。
サッカーなどスポーツの分野においては、アフリカ諸国を日本に招いた試合が行われており、良好な関係を築いている。
南アフリカ共和国 :アパルトヘイトで世界から孤立していた時代にも、多くの日本企業が進出して比較的密接な関係を築いていた。このため、国際社会から厳しい非難を浴びていた時期に、日本人は同国から「名誉白人」(国連から非難決議を受けた)の扱いを受けていた。
BBC国際世論調査
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BBCによる国際世論調査では、好ましい国の上位に挙げられている。2013年実施の調査結果では好ましい国の4位となっているが、大韓民国、中華人民共和国からの評価は低い[131]。
領土問題等
以下の領有を巡る領土問題等を抱える。
- 日本政府が「解決すべき領土問題」と認識して国際的な了承を得ているもの
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詳細は「北方領土問題」を参照
- 第二次世界大戦の終結が決定的となる日本によるポツダム宣言の受諾(1945年(昭和20年)8月14日)後、1945年(昭和20年)8月28日から9月5日にかけ、大戦前から日本が領有していた千島列島(ロシア名:クリル諸島)に日ソ中立条約の破棄を通告したソ連軍が侵攻し占領した。以後、ソ連を承継したロシア連邦が現在に至るまで実効支配している。
- ロシア(ソ連)は、戦争で獲得した領土と主張する。一方、日本は、北方地域(歯舞群島・色丹島・国後島・択捉島)をその固有の領土として返還を求めている。ロシアは、歯舞群島・色丹島について日ソ共同宣言を根拠に日本への将来の返還を示唆している。日本は、択捉島・国後島を含む4島の一括返還を求め、これを拒否する。また、日本は、択捉島と得撫島との間での国境の確定にロシアが同意すれば、引き続きロシアによる統治を認める旨を提示したが、ロシアが拒否した。2007年(平成19年)にロシアが「面積二分割」案を提示した。現在、解決の目処が立っていない。樺太・千島列島を日本領と主張する有識者、団体も存在し、日本共産党は、千島列島の全域を日本の領土と主張する(ソ連による千島の占領がカイロ宣言等で示された連合国の「領土不拡大」原則に反し、違法であるとの理由から)ほか、一部では南樺太ないし樺太(全域)(サハリン)の返還も主張される。日本側は南樺太と千島全島はロシアとの間に領有権未定だと主張している。
- 相手国政府は「領土問題」はないと認識しているが、日本政府が「解決すべき領土問題」と認識しているもの
- 竹島(韓国・朝鮮名:独島)
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詳細は「竹島 (島根県)」を参照
- 日本の島根県・隠岐島から北西約157km、大韓民国の慶尚北道・鬱陵島から約92kmに位置する、2つの岩礁からなる小島である。日韓が領有を主張(韓国を朝鮮民主主義人民共和国も支持)して対立する。
- 韓国併合以前、大日本帝国と大韓帝国と、どちらの領土だったかを巡る議論に帰する。日本の国内法上、1905年(明治38年)の閣議決定・島根県告示によって編入された。これについて韓国は、「秘密裏に、また強制的に行われたものであり、法的根拠は持たず無効である。」と主張するが、日本は、「国際法に則った適法な手続きがなされたものであり、また新聞などでも報道されており秘密裏に行われたとの指摘は当たらない」と主張する。韓国は、独立から間もなく李承晩ラインを一方的に設定し、その内に入った日本の漁船・漁民を拿捕して釜山収容所に抑留したのみならず、第一大邦丸事件など漁船を相次いで銃撃し、多数の死傷者を出した。その後の日韓国交正常化交渉で李承晩ラインの不当性や竹島の領有を日本が強く主張し、1965年(昭和40年)に李承晩ラインが廃止された[132]。
- 1954年(昭和29年)7月に韓国海軍が占拠し、現在、独島警備隊が引き継いで駐屯する。これに対して日本は、韓国による不法占拠として抗議し続け、また、1954年と1962年に国際司法裁判所への付託を提案したが、韓国は、これに同意しない。
- 韓国民にとって独立の象徴と考えられていること、周辺の海域が豊かな漁場であること、また、莫大なメタンハイドレートや海底油田の埋蔵が推測されること、などが解決を難しくしている。
- 1965年の日韓基本条約の締結の際には日韓の実力者交渉で「竹島爆破」による領土問題の解消も囁かれたものの至らず、条約締結以降は外交的配慮で日本側からの提訴は控えられ、民主党政権では政府見解から「不法占拠」の表現が曖昧になるなど引け目になっていたが、2012年に李明博大統領による韓国トップとしては初の竹島上陸が強行されたことに対する世論の批判を受けた形で3度目の提訴が予定されている。
- 日本政府は「領土問題はない」と認識しているが、外国から領有権の主張がなされているもの。
- 尖閣諸島(中国名:釣魚台列島など)
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詳細は「尖閣諸島問題」を参照
- 1895年に、尖閣諸島を日本の領土に編入することを閣議決定している。第二次世界大戦後は、沖縄(琉球諸島および大東諸島)の一部としてアメリカ合衆国の施政権の下にあった。沖縄返還時に、施政権が日本に返還されて以降、現在まで日本が実効支配するが、その他に中華人民共和国(中国)および中華民国(台湾)が領有を主張する。日本政府は「日本固有の領土にして統治されている尖閣諸島に領土問題は存在しない」という見解を示している。上の経済水域の問題や中台間の問題も絡み、複雑化の様相を呈する。アメリカ合衆国との沖縄返還交渉および1970年代初頭の東シナ海における天然ガス発見を機に、表面化した。中台に対抗し、度々、日本の右翼団体が上陸して灯台を建設(現在、日本政府が管理)するなどした。2005年(平成17年)、台湾の漁民が海上保安庁による取締に対して海上で抗議デモを行った。2002年(平成14年)からは政府が私有地を借りる形で管理し2012年(平成24年)には国有化されており、許可なく民間人の立ち入りが出来ない状況であるが、近年の中国人活動家による領海侵犯・不法上陸に対する政府の対応の甘さを指摘する世論の反発を受けている。2010年9月、尖閣諸島周辺海域で海上保安庁の巡視船に衝突した中国漁船船長の身柄を拘束した際、アメリカ政府も日本政府に釈放圧力をかけた[133]。
- その他
- 領土問題に準じる、いくつかの問題がある。
- 日中間の排他的経済水域
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詳細は「東シナ海ガス田問題」を参照
- 中華人民共和国(中国)との間における、東シナ海で両国が主張する排他的経済水域の範囲の違いに起因する。日本は、両国の国境の中間線を境界線として主張し、中国は、ユーラシア大陸の大陸棚部分を自国の領域と主張する。国際的には、日本の主張が優勢であるが、中国と同様の主張をする国も存在し、現在、平行線を辿る。
- 近年、この問題が重要化したのは、この海域の地下に豊富な天然ガスの存在が明らかになったためである。中国は、天然ガスを採掘するプラント(春暁ガス田)を日本が主張する境界の近辺(中国側)に建設するなど強硬な姿勢を取る。これに対して日本は、日本側の資源も採掘される可能性があるとして抗議し、また、この海域での試掘権を設定し、日本の企業が取得した。日本が国際司法裁判所に判断を委ねようとする立場なのに対し、これに同意しない中国は、両国での共同開発を提示するが、日本は、これを中国に有利な条件と認識するなど、依然、解決の糸口が見えない。
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- 沖ノ鳥島
- 日本政府は1931年7月の内務省告示以来沖ノ鳥島を島として支配しそれを継続していること、また国連海洋法条約において島の定義が存在しないことを理由として、沖ノ鳥島を「島」であるとしている[134]。それに対して中国および韓国は、沖ノ鳥島に関する日本の権利を認めながらも、国連海洋法条約121条3項における「岩礁」の定義に基づいて沖ノ鳥島は岩礁であると主張しており、沖ノ鳥島を起点に設定される日本のEEZについてもを認めていない。
- 日本海の呼称
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詳細は「日本海呼称問題」を参照
- 与那国島上空の防空識別圏
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「与那国空港#防空識別圏問題」も参照
- 与那国島の西2/3が、沖縄のアメリカ統治期に東経123度線に沿って設置された防空識別圏(ADIZ、アディズ)を引き継いでいるため、中華民国(台湾)の管理下にある。現在、両国の関係が良好であるために情報の交換もスムーズだが、台湾有事において防衛上の重要な問題となる可能性が高い。2005年(平成17年)末から2006年(平成18年)にかけて台湾が防空識別圏から与那国島を外して運用していたことも判明しているが、特に両国で取り決められたわけでもなく、曖昧なままである。
- 2010年6月25日、日本は防衛省訓令改正により防空識別圏を与那国上空にも広げた。台湾には外交ルートを通じて説明した[135]が、台湾の外交部は「事前に我々と十分な連絡をとらなかった」として遺憾の意を表明[136]、日本の決定を受け入れないとしている。
- 南樺太・千島列島の放棄後帰属問題
- 南樺太および千島列島は、大日本帝国時代、「内地」であったが、サンフランシスコ平和条約で日本は領土を放棄した。しかし、ソ連・ロシアとは北方領土問題のみ解決などから領有権を認めず、「未帰属」後として扱った。しかし、ロシアが実効支配しており、マスコミでも日本語名称は使われなくなりつつある。(樺太→サハリン、豊原→ユジノサハリンスク、等)
- ロシアの対日宣戦布告が違法とする立場や、ソ連(ロシア)がサンフランシスコ平和条約を批准していないことを根拠に、「主権残留説」も出ており、一部の論者はこれらの地域の領有権を主張している。また、それとは別に日本共産党が千島列島返還を主張している。維新政党・新風は南樺太と千島列島の全域が日本領であるとしている。
- 日本政府はこれらの問題について、「未帰属」(=未解決)としており、ロシアとの平和条約が結ばれた後で解決するとしている。
- 台湾の放棄後帰属問題
- 日本は台湾の領有権を放棄したが、いまだに中華人民共和国の領土とは、認めていない。一時は中華民国に割譲したが、今の日本政府は中華民国を「合法政府」とは認識しておらず、台湾の地位については、「発言する立場にない」としている。
- 台湾の主権が日本に残留している、あるいは、台湾の帰属は台湾住民の意思によって決定するべきである、という意見もある。
- 韓国の反日過激派による対馬の領有権主張問題
- 大韓民国には、対馬は韓国領であると主張する、一部の過激派が存在する。
- しかし、韓国政府もそのような主張は、決して承認しておらず、日韓の右派団体同士による衝突を除けば、国際問題にはなっていない。
渡航する日本人
- 安全
- 近年、海外への渡航の増加に伴い、犯罪に巻き込まれるケースも増えている。特にアメリカ同時多発テロ事件以降、爆破や拉致・監禁事件なども多発し、有名な例としては、イラク日本人人質事件、アフガニスタン日本人拉致事件、アルジェリア人質事件では武装勢力に殺害される事件も2013年(平成25年)に起きた。また、2002年(平成14年)にニューカレドニアのリゾート地で現地の風習・文化をよく知らずに聖地とされる場所に無断で侵入したために地元民に殺害される事件も発生した。
- 世界的に最も良い方である日本の治安、例えば殺人の発生率が低い順に第3位(2000年〔平成12年〕)であることなど、日本人が日本での治安の感覚と同じように海外で行動すると、その感覚の大きな隔たりから犯罪に巻き込まれることがある。
- マナー
- 米最大手の旅行サイトであるエクスペディアが行ったアンケート調査で、「行儀がいい」、「礼儀正しい」、「物静かで慎ましい」、「クレーム・不平が少ない」の各分野で1位を獲得するなど、2位のアメリカ人を大きく引き離して1位となった[137]。
- 一方、以下のような事例も存在する。
治安維持
対内
警察の機構は、内閣府の一機関たる国家公安委員会・警察庁、そして各都道府県の公安委員会・警察本部による二層構造であり、後者の下部組織たる警察署、更に日本から発祥の交番の存在が地域の安全を担う。SAT等をも擁する文民警察である。
他に、沿岸警備隊たる海上保安庁が国土交通省の外局として、また、国境警備隊たる機能の一部を担う法務省入国管理局(入国警備官)や財務省の税関(税関職員)、あるいは、特に薬物犯罪を専門に管轄する厚生労働省の各地方厚生局麻薬取締部(麻薬取締官)などが、それぞれ設置されている。
銃砲刀剣類所持等取締法により、銃・刀剣などの武器の所持を厳しく規制している。国際連合薬物犯罪事務所の統計によれば、国連加盟192国の内、犯罪・刑事司法の統計を報告している国の中で、殺人、誘拐、強姦、強盗などの暴力犯罪の発生率が著しく低い[138][139][140][141][142]。その理由については、制度的な要素、社会的な要素、日本人の遵法意識の高さなど諸説あるが、その一つとして厳しい銃規制も挙げられる。但し、イギリスの銃規制に見られるように日本と同等ないし罰則だけなら日本よりも厳しいのにもかかわらず、殺人事件に占める銃の使用される比率が日本の倍を超える国が存在するなど、銃規制のみが治安維持に貢献しているわけではない。
対外
日米安全保障条約に基づき、在日米軍が駐留する[143]。また、事実上の軍隊[144]自衛隊は、陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊から構成され、内閣総理大臣および防衛大臣による文民統制の下、防衛省によって管理される。また、事実上の準軍事組織として沿岸警備隊たる海上保安庁が存在するが、海上保安庁に対処が困難な事態が発生した場合、主に海上自衛隊が担当する。
大日本帝国憲法の統帥権を根拠に旧日本軍が政治に深く関与したことへの反省から、自衛隊法第7条により、内閣総理大臣が自衛隊の最高指揮監督権を持つと規定され、文民統制に注意が払われている。また、同じく戦前への反省から自衛隊海外派遣は長らく行われてこなかったが、自衛隊ペルシャ湾派遣や自衛隊カンボジア派遣を契機に開始された。現在では、海外派遣任務は自衛隊の主要任務となっている。
第二次世界大戦後、日本の部隊は、その所属にかかわらず、一切の直接の戦闘を経験していない。連合国軍の占領下にあった1950年(昭和25年)、朝鮮戦争で海上保安庁の機雷掃海部隊(特別掃海隊)が派遣されたことがあり、死傷者も出している。公開演習などを通じて高い練度を評価されることも多いが、他国の軍隊や民兵組織と交戦に至った経験はなく、実際の戦闘においての能力は、未知数である。
(イギリスの経済紙・エコノミストの調査部門であるエコノミスト・インテリジェンス・ユニットが平和の指標として24項目を数値化する)「世界平和度指数」の2009年(平成21年)度版によると、戦争・内戦・テロ、それによる死傷者が無く、軍事費のGDP比が低く、犯罪率が低いことなどから、ニュージーランド、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、オーストリア、スウェーデンに次いで7位に評価され、2010年には3位とされている[145][146]。ただ、この指標にはアメリカに防衛を依存している日本などに対し有利な計算方法との指摘が出ている。
要員・装備・予算
以下のような政策・傾向を継続している。
- 防衛費の絶対額では世界上位。しかし、国の経済力に対する防衛費の割合は、著しく低水準に抑えられている。
- 兵員・戦車・作戦機・軍艦の数などに見られる規模の小ささを、質の向上や同盟国(アメリカ合衆国)の能力によって補完する。
- 近年は財政状況の悪化により、仮想敵国や周辺諸国との協調的な軍縮でなく、単独で一方的・自主的に軍縮する。
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の統計によると、以下の通りである。
- 国内総生産(GDP)に対する軍事費の割合ランキングは、世界の150位前後である[147](これは、アメリカ中央情報局(CIA)の発行する CIA World Factbook の統計においても同様である[148])。
- 2008年(平成20年)度の防衛に関連する予算の総額は、為替レートベースで463億(アメリカ)ドルであり、1位のアメリカ合衆国、2位の中華人民共和国、3位のフランス、4位のイギリス、5位のロシア、6位のドイツに次ぎ、世界7位である[149]。
- 1999年(平成11年) - 2008年(平成20年)の10年間の軍事費の増減率は、中国が194%増、ロシアが173%増、韓国が51.5%増、日本が1.7%減であり、周辺諸国に対して相対的に低下している[149](これについてはアメリカからも懸念が示されている[150][151])。
このように GDP に対する割合の順位(世界の150位前後)に比べてドル換算した絶対額の順位(世界7位)の方が格段に高い理由として、以下が挙げられる。
- GDP そのものが大きく、国力が高い。
- 円が強い通貨である。
- 広大な領海・EEZと長大なシーレーンを抱える。
- 周囲を軍事大国に囲まれる。
- 規模が相対的に小さい故に、質の高い要員・装備を目指しているため、装備調達や訓練にコストがかかる傾向にある。
- 人件費が高く、予算の大きな部分を占める。
- 装備の国産化を指向するにもかかわらず、武器輸出三原則で輸出を自粛していたため、購入単価が下がらない(しかし、2014年4月第二次安倍内閣によって防衛装備移転三原則へと移行したため改善する可能性もある。)。
- 要員
- 2009年(平成21年)における自衛官の定員(千人未満を四捨五入)は、陸自が約15万2千人、海自が約4万6千人、空自が約4万7千人、合計24万8千人、実数は、陸自が約14万4千人、海自が約4万3千人、空自が約4万4千人、合計23万3千人である。特徴として、予備役に相当する予備自衛官等が約4万8千人であり、現役と比べての割合が非常に少ない(通常、予備役の数は現役の数を超える)。
- 防衛省の文官は、2万2千人である[152]。
- 徴兵制度は第二次大戦以降、廃止されている。
- 装備
- 定評ある海外製の兵器や、それと同等ないしさらに高性能と見られる国産装備を多く保有する。高い基礎工業力を生かし、車両や艦船の多く、そして航空機の一部が独自開発である。ただし、それらの輸出は武器輸出三原則によって自粛してきた。また、他国の製品であってもライセンス生産を行うなど、可能な限り、国内で調達する傾向がある。これによって、自衛隊の調達する兵器の多くは海外の同等のものよりも高コストとなっているが、他国の意志に左右されず兵器本体および保守部品の生産ができ、兵器の製造ノウハウを蓄積することによって、保守・運用の効率を高め、ひいては稼働率を高く保つことを狙っている。
- 予算
- かつては防衛費をGNPの1%以下に抑える防衛費1%枠という閣議決定があり、現在は撤廃されているが、現在でもこの割合が基本となっている。
- 2008年(平成20年)度の GDP に対する防衛費の割合は、SIPRI の統計による世界全体の GDP に対する軍事費の割合2.4%に対し、0.94%である[153][154][155]。
- 2009年(平成21年)度の防衛に関連する予算の総額は、4兆7741億円(本体予算4兆7028億円+沖縄に関する特別行動委員会費112億円+米軍再編関係費602億円)、前年比で55億円(0.1%)減で、2002年(平成14年)度をピークに2003年(平成15年)度から2009年(平成21年)度まで7年連続で微減傾向である[156]。2012年に民主党政権から自民党政権へ政権が交代され尖閣諸島問題など緊迫する情勢から2013年度防衛予算ではおよそ11年ぶりである300億円の増額が決定された。また自衛隊員の増員も検討されているが、今のところ目途は立っていない。
情勢・脅威
冷戦の時代、ソビエト連邦が最大の仮想敵国であり、自衛隊の部隊も北海道など北方に重点が置いて配置されていた。冷戦はソ連崩壊によって終結し、現在は軍拡を続ける中国、水際外交や国家犯罪を繰り返す北朝鮮の脅威の方が増している、これらへの対抗から部隊の西方への移転が進められている。防衛白書も、近年は中国・北朝鮮に対する脅威を主張している。しかし、根拠地の移転には広大な敷地や大規模な工事が必要なこともあり、あまり進んでいない。
- アメリカ以外との安全保障協力
- 2007年(平成19年)3月にオーストラリアとの間で安全保障協力に関する日豪共同宣言が、続けて2008年(平成20年)10月にインドとの間で日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言が、それぞれ調印された。
- 核抑止
- 日本はアメリカ軍の広島・長崎への原爆投下によって無辜の一般市民が大量虐殺された経験から、国民レベルでは核抑止論に対する抵抗・反発の感情が強い。しかし日本政府は「非核三原則」を標榜しつつも非核地帯宣言はせず、事実上の核抑止論の立場に立っており、アメリカの「核の傘」に頼っている。周辺諸国ではアメリカ、ロシア、中国が核兵器の大量保有国である上、北朝鮮が核兵器の開発の成功を発表している。それらに対し、独自の核保有もしくはアメリカとのニュークリア・シェアリングを検討すべきという民間レベルの議論もあるものの、政府および国会に議席を持つ全ての政党が核兵器の開発・保有に反対している。
- シーレーン防衛
- 日本は、第二次大戦中に連合軍の通商破壊戦によってシーレーンを遮断され、物資が極度に窮乏する状況に追い込まれた。さらに1980年代より日本の海洋国家論の高まりと同時に、軍事のみならず、経済・食糧・エネルギー・環境などの総合安全保障の概念が認識されるようになった。漁業の安全や世界中との貿易での立国を維持する上でシーレーンの防衛(海戦や通商破壊などの危険回避)が重要であるものの、グローバルに広がるシーレーンの全ての防衛を独力で完遂することは、現実的にも困難であり、憲法第9条の制約もある。よって、同じく海洋国家として「海洋の自由」を標榜し、グローバルに軍事展開するアメリカと協力することで、コストを抑制しての有効な海洋の安全を図っている。一方で、マラッカ海峡などの海賊やテロも、東アジア全域のみならず、グローバルな共通の危機となり、非対称戦争に対応した国際的な警察力の強化、紛争予防も重要な課題となっている。
- 中華人民共和国
- 21年連続で国防費の2桁成長という急速な軍拡を続け、軍事力の近代化を進めている。その実態や将来像、意思決定の過程が不透明であることが脅威である[157]上に、文民統制が不十分で軍部の暴発すら心配される[158]。日本とは海を挟んで接しているが、中国は外洋艦隊の建設によって海洋権益を拡張する姿勢を強めており、周辺国と係争や紛争を行っている。中でも台湾の併合(台湾回収)は国是[159]となっており、独立の動きがあれば武力侵攻することを示唆している。しかも中国の主張によれば台湾には沖縄県尖閣諸島が含まれており、中国の領有を主張している。さらには、中国の論壇にみられる沖縄県の独立もしくは併合(琉球回収)の主張に対して、一部の軍人が同調する発言すらみられる。今後は南西諸島ないしは太平洋北西部(フィリピン海)に中国人民解放軍海軍が強い影響力を及ぼすことが懸念される。このような情勢の下で日本は、中国との対話を続ける一方で、中国の軍事力に対抗する抑止力を整備し、日米安全保障態勢の維持・強化を図る。
経済・産業・交通
規模・位置
資本主義・市場経済を採用する工業国であり、2010年時点で、国内総生産 (GDP) がUSドル時価換算の為替レートで世界第3位(購買力平価 (PPP) で世界第3位)に位置する経済大国である。一人当たり GDP は2010年時点で、USドル時価換算で世界第16位、購買力平価 (PPP) で世界第24位である。
通貨である円 (¥, yen, JPY) は、高い信認を有する国際通貨の一つである。日本人は、その信認の高さから現金決済や貯蓄を好む傾向がある。1964年(昭和39年)に経済協力開発機構(OECD)に加盟し、サミット(主要国首脳会議・当時のG5・後にG7・現在のG8)にも1975年(昭和50年)の第1回から参加している。
経済史
明治以来、西欧型の民法典を導入し、財産権を基礎とした資本主義を経済の基本とする。第二次世界大戦時の戦時体制を経験した後、物価統制令や傾斜生産方式、外貨準備に伴う割当制など、通産省や大蔵省が主導する護送船団方式により、製造業を軸に高度経済成長を果たした。1968年(昭和43年)、国民総生産 (GNP) ベースでアメリカ合衆国に次いで第2位の規模の資本主義国となった。他の資本主義諸国と比較して失業率も低く、「最も成功した社会主義国家」と言われた時代もあった。1974年(昭和49年)のオイルショックを機に安定成長期に入り、自動車、電化製品、コンピュータなどの軽薄短小産業(ハイテク産業)が急成長する産業構造の転換が進んだ。円高が進む中、比較劣位の産業のいくつかは、競争力を喪失して衰退し、自動車産業など、比較優位で競争力の高い輸出産業は、円高の波を乗り切り、基幹産業として世界でも最高水準の競争力を持つに至った。しかし、製造業では生産拠点が海外に流出する空洞化が進行している。 1990年代前半にバブル景気が崩壊したことによる不況で、「失われた10年」と呼ばれる長期不況に苦しんだ。日本の経済成長率は、高度成長期はもちろんのこと、安定成長期にも欧米を上回っていたが、1990年代以降は欧米や東アジア諸国を大幅に下回っている(1991年から2009年までの日本の平均経済成長率は0.8%)。日本は継続的にアメリカ国債を購入し、2012年3月時点で1兆830億ドル分を保有し中国に次ぐ世界第二位の保有量となっているが、近年のドル安で約40兆円の為替差損が発生している。アメリカ国債からは毎年14.5兆円が償還されるが、償還金をアメリカ国債再購入に充てている[160]。
- 所得
- 高度経済成長を遂げた日本では、「国民総中流」と呼ばれる貧困層が存在しないかのような意識が浸透していたが、近年、貧困層の存在が広く知られ、貧富の差が拡大しているという意識が広まった。経済協力開発機構 (OECD) の統計によれば、2005年(平成17年)度の貧困率は、OECD加盟国(30ヶ国のうち、貧困率を統計する17ヶ国[161])の内の第2位、15.3%である。この原因としては、高齢化社会による年金生活者や賃金の低い非正規雇用の増加が挙げられる。
- 雇用
- 戦後の日本企業では1980年代までは長期継続雇用が主流だったので、社会構造の変化による衰退産業・衰退企業や、経営破たん企業による、解雇や人員削減以外には、失業が社会問題化することは例外であり、経済成長率が高く、成長産業・成長企業による求人が豊富だったので、失業者も再就職による職業や生活の立て直しは困難ではなかった。1990年代以後のグローバル化の進行、GDPのゼロ成長、デフレ、非正規雇用の増大により、不安定雇用、低所得、貧富の格差の拡大、失業、再就職の困難などが社会問題化した。また、2008年以降の世界金融危機によって完全失業率は戦後最悪水準の5.0%にまで悪化している[162]。
- 債務
- 1990年代以降における財政政策により、公的債務(国・地方の合計)が1100兆円以上となっているが、その殆どは国内で消化しており、外国に対する債務は5%程度と低い。
- 政府
- OECDがまとめたデータに基づいて作成されたデータによると、OECD諸国中において、日本は人口に占める公務員の比率が低く、経済に占める公営企業の規模も小さい[163]。なお、租税負担率においては、日本はOECD諸国中下から6番目である[164]。
農林水産業
- 農業
- 他国と比較して生産量が多い農産物は、生糸、キャベツ、イネ(米)、サツマイモ、タロイモ(主にサトイモ)、茶、ホップなどである。
- 林業
- 1970年(昭和45年)以降の木材の輸入自由化により競争力を喪失し、一部のブランド木材の産地を除き、既に壊滅状態に追い込まれている。
- 水産業・漁業
- 漁獲高は、2002年(平成14年)時点で世界第5位(440万トン)である。
- 貿易(輸入・輸出)
- 食料自給率は、60%を世界各地からの輸入に頼るため、約40%と低い。近年、食の安全への関心の高まりから国産ブランドの需要が回復し、一部の農産物は、高級食材として輸出される。また、中国での魚介類を消費する習慣の広がりにより、水産物の輸出が急増している[165][166]。
- 従事者
- 高齢化が進み、将来の人材の育成が課題とされている。[要出典]
鉱工業
- 鉱業
- 地下資源は、全体としての産出量が概して少ないものの、埋蔵される鉱物の種類が非常に豊富で、俗に「鉱物の博物館」[167]と呼ばれる。鉱業の中心を占めるのは、世界第5位(2001年〔平成13年〕)の320万トンを産出する硫黄、そして、世界第2位(2005年〔平成17年〕)の6500トンを産出するヨウ素である。その他、産出量では、天然ガスの101千兆ジュールや石炭の302万トンが目立つ。少量ながら、原油をも産出する(約37万キロリットル・2001年(平成13年)時点)。金属資源は、亜鉛の4万3000トンを筆頭に、鉛、銅を産出する。この3金属は、いずれも非鉄金属として非常に重要である。しかし、いずれも国内消費量の4%、6.8%、0.02%しか賄えない。かつて大量に産出していた金や銀も採掘されるが、現在いずれも世界的なシェアが0.5%以下(金8.6トン・銀81トン)である。国内需要を賄うだけの産出量がある地下資源は、石灰岩(セメント原料)、珪石(水晶/ガラス・レンズ・光ファイバー・建築材料の原料)など、ごく僅かである。
- 現在、あまり資源として活用されていないが、メタンハイドレートが近海に多く眠ることが分かっている。これは、採掘の手法が未だ確立していないが、将来的に石油が枯渇した際における新エネルギーとして注目を浴びている[168][169]。近年では、都市鉱山という考え方も普及し、日本に蓄積される貴金属やレアメタルの埋蔵量が世界有数であるとの研究があり、廃棄される家電や電子機器などから、これらをリサイクルする事業活動も広がりを見せる。
- 工業
- 基幹産業であり、特に素材・金属加工・造船・土木工学・機械工学・電気工学・電子工学などの製造業は、世界最高水準の技術を維持する。原油・ゴム・鉄鉱石などの原材料を輸入して自動車、電気製品、電子機器、電子部品、化学製品などの工業製品を輸出する加工貿易が特徴であるが、近年、大韓民国や中華民国からの電子部品や電子機器などの半製品の輸入も増大し、輸出品、輸入品、共に電子機器が最大である。
- トヨタ自動車や日産自動車、本田技研工業などを筆頭に世界有数の自動車産業を擁し、世界第3位の新車販売、世界第2位の保有台数を記録する[170]。
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「日本車」も参照
- 一方、航空宇宙産業(航空宇宙工学)・医薬品化学・バイオテクノロジー・情報技術などの新しい産業の分野においては、最高水準と言えず、また、全体としての製造業は、中国や韓国、台湾などの新興国の成長に押され、1980年代をピークに収益率も下落を続ける。そのため、ナノテクノロジーや民生用のロボット工学、生物工学、金融工学、情報技術などに活路を見出そうとしている。
通商・金融
2002年(平成14年)時点の主要な輸出の相手国は、金額ベースで28.9%を占めるアメリカ合衆国、中華人民共和国 (9.6%)、大韓民国 (6.9%)、香港 (6.1%)、シンガポール (3.4%)である。アメリカ合衆国、東アジア、東南アジアへの輸出を合わせて55%を占める。輸入の相手国は、アメリカ合衆国 (18.3%)、中国 (17.4%)、韓国 (4.6%)、インドネシア (4.2%)、オーストラリア (4.2%) であり、以上で48.7%を占める。貿易収支は、黒字(2004年(平成16年)に約14兆円)である。主要な輸出品は、金額ベースで自動車 (22.3%)、機械類 (21.6%)、電気機械 (20.5%)、鉄鋼 (3.7%)、化学薬品 (3.1%) の順である。主な輸入品は、電気機械 (12.2%)、機械類 (11.2%)、原油 (10.8%)、衣類 (5.2%)、天然ガス (5.2%) である[171]。
日本の産業は、発展の過程で間接金融による資金調達を広く用いたため、銀行が経済に与える影響が大きい。銀行は、融資で土地資産を担保に取ることが多かったため、土地が経済に与える影響も大きい。しかし、バブル景気の崩壊後は、直接金融や市場型間接金融への転換が進められている。金融機関では、バブル時期の焦げ付き、いわゆる不良債権問題が長引き、1990年代初頭に金融危機を引き起こした。しかし、政府主導で大合併が行われて公的資金を注入しての強引な解決が図られ、その後は、超低金利政策の下、高収益を上げるようになった。日本銀行は、2006年(平成18年)にゼロ金利を解除したが、未だ金利の水準が低く推移し、個人消費の伸びも見られないなど、経済回復が明確でなく、2007年(平成19年)現在、それ以上の金利引き上げに至っていない。
また、継続的な経常黒字により、世界最大の債権国であり、世界経済からの配当や利子の受け取りが次第に増大している。2010年現在、日本の対外資産残高は563兆5,260億円、対外負債残高は312兆310億円で、差し引き対外純資産残高は世界最大の251兆4,950億円である[172]。
日本としては世界最大の黒字国であるが、日本政府は歳入の47.9%が公債で賄われている状況である(平成23年度一般会計予算)[173]。しかしながら、日本国債のほとんどは国内保有であり、日本国内の資産となっている。
交通
古くから北太平洋および北東アジアの交通の要所として海運や航空において重要な位置を占め、世界的に有数の規模の海運会社や航空会社が存在し、各国を結ぶ。また、アジアにおいて最も早く鉄道を導入した国の一つであり、世界初の高速鉄道である新幹線を導入し、私鉄による鉄道網が全国を網羅している。また、高度経済成長以降、モータリゼーションが進み、道路網・高速自動車専用道路網が発達している。
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「日本の航空機産業」も参照
- 1950年代以降、日本航空が日本のフラッグ・キャリアとして国内外に路線を広げ、アフリカを除く全大陸へ就航し、現在もアジアのみならず世界でも有数の規模を誇る航空会社として知られていたが、2010年、会社更生法の適用を受けた。また、1980年代まで国内線のみを運航した全日本空輸(ANA)は、現在、アジア圏を中心に欧米へ国際線を運航する。
- 1990年代以降の規制緩和を受け、スカイマークや北海道国際航空(エア・ドゥ)、スカイネットアジア航空などが新規参入し、国内航空運賃の引き下げに寄与した。
- 地方を中心に空港インフラが充実し、国内に98もの空港を有する。一方、都市部における空港インフラは、整備途上で慢性的な容量不足であり、航空充実の足かせとなっている。
- 鉄道
- 明治維新以降、1872年(明治5年)10月14日の新橋駅(のちの汐留駅) - 横浜駅(現・桜木町駅)間の開通を皮切りに、国策として全国に鉄道網が急速に敷設され、日本国有鉄道(国鉄)や他の数多くの私鉄へと発展した。1970年代までに私鉄、国鉄ともに多くの路線が電化され、世界に例を見ない規模で分刻み・秒単位のスケジュールで運行され、その規模、技術、運営ノウハウ共に世界最高水準と言われる。
- 1964年(昭和39年)に国鉄(現在のJR)によって導入された新幹線は、都市間を結ぶ世界初の高速鉄道として空路に並ぶ地位を築き、在来線と規格が異なるので全国で開通していないが、整備が続く。都市圏では、それに地下鉄やモノレールが加わる。更に、近年の環境問題の意識から路面電車が見直され、富山県などでライトレールが導入されている。
- 2003年(平成15年)8月の沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の開通によって全ての都道府県に広がり、2004年(平成16年)の時点での全国における総全長は、23,577 kmである。
- 道路
- 高度経済成長以降、自動車産業の保護を目的に、国内における陸運の主力をトラックにする政策が採用されたことなどから、全国的に道路・高速道路の整備が進められた。しかし、近年、都市部を中心に慢性化した渋滞や通行料の高さ、駐車スペース確保の困難さ、環境問題への対策として、鉄道や航空機などの公共輸送、船舶輸送などが見直されている。
- 2004年(平成16年)時点での舗装された道路の全長は、1,177,278 kmである。
- 海運
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「海運#日本の海運会社」および「造船#日本の造船史」も参照
- 四方を海に囲まれ、欠かせない運送手段であり、沿岸部に工業地帯や人口が集中する理由でもある。日本郵船や商船三井などの世界有数の規模を持つ船会社が19世紀の後半から各国との間に貨物船や旅客船を運航してきた。現在、中東や東南アジアから石油や天然ガスなどの資源が輸入され、ヨーロッパやアメリカ合衆国へ電化製品や自動車などが輸出される。国内航路においても大小の船会社によって多数の貨客フェリーや高速船が運航される。また、造船分野においても、その技術力の高さから世界有数の規模を保つ。
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「日本」の書誌情報
- 項目名: 日本
- 著作者: ウィキペディアの執筆者
- 発行所: ウィキペディア日本語版
- 更新日時: 2015年6月14日 05:10 (UTC)
- 取得日時: 2015年6月15日 07:55 (UTC)
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