割烹着

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Camera-photo Upload.svg 画像提供依頼:割烹着の画像提供をお願いします。2012年1月

 

割烹着(かっぽうぎ)は、衣服の汚れを防ぐために羽織って着るエプロンの一種[1]日本で考案されたもので、着物の上から着用できる。

女性が家事労働をする際に着物を保護するために考案されたもの[2]で、着物の袂が納まるよう広い袖幅(袖の太さ)と手首までの袖丈(袖の長さ)であり、おおむね身丈は膝まである(着物並みの身丈の割烹着もある)。

紐は肩のうしろと腰のうしろで共布の紐で結ばれる。袖口にゴムを通すこともあり、ポケットがあるものもある。白が多いが、灰色やピンク、水色など様々な色が存在する。綿が多いがポリエステルなど化繊で出来たものも多い。フリルがついたものも存在する。

 

用途・特徴

  • 調理や掃除などの際、衛生上の問題や、着物が汚れるのを防ぐために着用する。
  • 着用には襟と腰2箇所にある紐を用いて、背中で結ぶものが多い。
  • 昭和中期までは襟周りがV字型や角ばっているものが主流であったが、現在の割烹着の多くは、襟周りが丸くなっている。

歴史

発祥と考案者については諸説あるが、雑誌『月刊 食道楽』第1巻第5号(1905年(明治38年)9月1日発行)に赤堀割烹教場における女性たちの割烹着姿の写真が掲載されており[3]、このころにはすでに現在のものに近い形になっていたことがわかる。

赤堀割烹教場の割烹着

赤堀割烹教場(1882年(明治15年)創立)の赤堀峯吉(初代、峯翁)が、受講者である良家の妻女のよそ行きの着物を保護するために考案したという説がある[4][5]。それまでのたすき掛けと前垂れの組み合わせの代わりに、着物を保護し暖かくかつ動きやすくするための工夫が施されている。

形の一応の完成をみたのが1902年(明治35年)、もしくは1904年(明治37年)ごろ。この割烹着はさらに改良を施され、料理だけでなく、掃除洗濯などの際にも「作業着」として用いられるようになっていった[3][6]

日本女子大学校の割烹着

日本女子大学校(1901年(明治34年)創立、現在の日本女子大学)の女子学生により、自学自動の教育方針の下、実験の際に使う作業着として開発されたという説もある[7]。 赤堀割烹教場関係者の赤堀峯吉は日本女子大学校開校当時の名簿に日本料理の嘱託教師として名を連ね、また赤堀菊(菊子)は「日本女子大学校教授」という肩書を共著に記している[3]

赤堀料理学園第5代校長を務めた赤堀千恵美は「赤堀菊は当時次々と創立された女子大で教えた際にこれを紹介し」としている[4]。割烹着は料理教室の受講者や女子大出身者を介して徐々に一般家庭の台所にも浸透していった。

婦人之友掲載の「家庭用仕事着」

1913年(大正2年)発行の雑誌『婦人之友』79号には笹木幸子考案の「家庭用仕事着」が掲載された。この仕事着は白いキャラコではなく細かい格子縞の地味な木綿であった[8]

国防婦人会と割烹着

昭和期には白い割烹着は一般の主婦にすっかり浸透していた。1932年(昭和7年)に大阪で発足した国防婦人会は「国防は台所から」というスローガンを掲げ、千人針、出征兵士の見送り、廃品回収による献金、軍人遺族の慰問などの諸活動をおこなったが、そのトレードマークになったのが割烹着に掛けという会服で、彼女たちは奉仕の場面だけではなく公式の場にも、割烹着姿で臆せずでかけていった。

この会服は「着物競争」に陥りがちな愛国婦人会にくらべ、より広汎な大衆動員を可能にしたといえる。1941年(昭和16年)には愛国婦人会と大日本連合婦人会を吸収、統合して大日本婦人会となった。しかし、戦況が悪化し本土決戦が近づくと、それにそなえて大日本婦人会は解散、また、急速に物資が欠乏して木綿も入手できなくなったため、婦人の服装ももんぺ姿へと変わっていった[9]

割烹着をかける

ここでは一般的に行われている、着物に割烹着をかける手順の一例を示す。

  1. 襟ヒモを持ち、割烹着掛けから割烹着を外し、襟ヒモを解く。
    このとき割烹着の外側に素手や着物が触れないようにする。
  2. 割烹着を広げる。
  3. 割烹着の襟ヒモを持ってから、割烹着の外側だけに触れるようにして、袖山を滑らすように伸ばし、片方ずつ袖を通す。
    このとき割烹着の外側に素手が触れないようにする。
  4. 手を袖から出す。手が出にくい場合は、割烹着の内側から反対の袖を引き上げる。外に出た手で襟元を引っ張り、もう片方の手を出す。
  5. 襟ヒモを結ぶ。
    このとき割烹着の裏地の、着込んでいる着物の帯締めの位置に調節ヒモがある場合は調節ヒモを帯締めに結わえる。
  6. 腰ヒモを後ろに回して前で結ぶ。
    このとき袖口がヒモの場合は腰ヒモの後に結ぶ。

割烹着を脱ぐ

ここでは一般的に行われている、割烹着を脱いで割烹着掛けに掛ける手順の一例を示す。

  1. 腰ヒモを解き、手洗いをし、襟ヒモを解く。左手で割烹着の袖の内側を持ちながら右手を引く。
  2. 割烹着の内側に入れた右手で左手の割烹着を押さえながら左手を割烹着から引いて脱ぐ。
  3. 割烹着が身体に触れないように離れて襟ヒモを持ち、襟元を合わせる。
  4. 襟ヒモを結び、内側が外になるようにして割烹着掛けに掛ける。

脚注

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  1. ^ 意匠分類定義カード(B1) 特許庁
  2. ^ Kotobank収録の世界大百科事典 第2版の解説
  3. ^ a b c 今井美樹「1882(明治15)年創立の赤堀割烹教場における調理教育と女性の活躍」昭和女子大学 學苑 845, 42-57, 2011-03-01
  4. ^ a b 「かっぽうぎ/割烹着」の項目 世界大百科事典平凡社、2007年)。
  5. ^ 小菅桂子『にっぽん台所文化史<増補>』90-94ページ
  6. ^ 赤堀料理学園のあゆみ [1]
  7. ^ 夏目☆記念日 女子大の日” (日本語). 2014年1月30日閲覧。
  8. ^ 岩崎雅美「明治後期割烹着風前掛の表現」家政学研究』46巻2号 / 奈良女子大学家政学会 [編] 2000年3月
  9. ^ 藤井 忠俊『国防婦人会-日の丸とカッポウ着』(岩波新書

関連項目

 
 
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