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書院番

この記事は クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0 のもとで公表された書院番 - Wikipediaを素材として二次利用しています。 

  

書院番(しょいんばん)とは、江戸幕府徳川将軍直属の親衛隊

概要

慶長10年(1605年)に設立され、水野忠清青山忠俊松平定綱内藤清次番頭に任命された。

当初4組によって構成され、後に6組まで増員される。また親衛隊という性格から、西丸が使用されているとき(大御所もしくは将軍継嗣がいるとき)は、西丸にも本丸と別に四組が置かれる。一組は番士50名、与力10騎、同心20名の構成からなる。番頭は、その組の指揮官である。朝番・夕番・泊番があり、設立当初は白書院の北に駐在した。

大番と同じく将軍の旗本部隊に属し、他の足軽組等を付属した上で、内の騎馬隊として運用されるが、敵勢への攻撃を主任務とする大番と異なり、書院番は将軍の身を守る防御任務を主とする。また、毎年交代で駿府に在番する[1]

小姓組とともに「両番」と称せられ、有能な番士には出世の途が開かれていた。どちらも、登城して勤番した日から三日目は供番といって、この日に将軍が外出すれば、そのお供を務める。四日目は西丸勤番。五日目は大手門の警固、六日目に将軍外出に当たれば先供を務め、七日目は西丸供番。八日目に明番といって休日が回ってきた[2]

1600年関ヶ原の戦いで西軍に与したため、戦後、改易されて浪人となった立花宗茂が、1604年徳川家康に召しだされたとき、宗茂書院番頭に任じられ、5,000石で遇されている。

脚注

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書院番」の書誌情報