パンパン
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パンパンとは、第二次世界大戦後の混乱期の日本で、主として在日米軍将兵を相手にした街頭の私娼(街娼)である。「パンパン・ガール」「パン助」「洋パン」ともいう[1]。
概説
第二次世界大戦が終わってGHQ占領が始まった1945年9月には既に存在が確認されていたとされ、1946年には日本全国で7万から8万人、朝鮮戦争の激化した1952年には15万人近くがいたとされる[要出典]。1956年の売春防止法施行後は激減したが、ベトナム戦争が激化した1960年代後半になっても米軍基地周辺には存在した。
第二次世界大戦によって疲弊した日本では、生きる為に止む無く、もしくは金銭を楽に得るために身体を売る女性が急増した。特に連合国軍(なかんずく米軍)相手の売春は、金・物資ともに乏しかった日本人同士を相手にするよりも儲かったとされる。なお「興味本位や封建的な時代と戦うために働いていた」という記録も連合国軍側にはある。
また当時は厚化粧の女性が少なかった為に、全く売春とは無関係の派手な身なりの女性を指してこう揶揄する事もあった。なお、『現代用語の基礎知識』1949年版では、一般にこの言葉が広まったのは戦後のことであるが、日本海軍内では戦中から使用されていたとしている[2]。
なお時代を経て、後期には日本人を相手にする娼婦、従来は「闇の女」などと呼ばれていた層に対してもパンパンとの呼称が用いられることがあった[1]。なお、特殊慰安施設協会(RAA)の廃止に伴い職を失った売春婦が街頭に立ちパンパンとなったと言う説があるが、実際にはRAA廃止前から街頭に立つ姿が見られていたという[1]。ちなみに1952年、盛りそば一杯17円の時代に、ショートで1000円、オールナイトで3000 - 4000円といった料金設定であった。
呼称
単に「パンパン」と呼ぶことが多かったが、異称も多数あった。「三助」にかけた[要出典]パン助という派生語は侮蔑的な意味が強い。逆にパンパン・ガールと呼んだ場合は、衣食住に足る私娼たちを羨望の対象として呼んだ言葉とされる[要出典]。 なお、「パンパン」は不特定多数の連合国軍兵士を客としていた者を指すことが多く、これに対し特定の相手(主に上級将校)のみと愛人契約を結んで売春関係にあったものは「オンリー」(英語:"only"から)または「オンリーさん」と呼ばれた[1]。
- 欧州系を専門とするパンパン ― 「洋パン」[1]・「虹パン」。 類義に「羅紗緬」など。
- 白人専門のパンパン ― 「ヤギパン(白人が山羊の様に白い事から)」・「白パン」[1]
- 黒人専門のパンパン ― 「ブラパン」・「黒パン」[1]
- 「ブラパン」とは、ぶら下がりパン助、またはブラックパンパンの略。
- 現代では娼婦でなくとも性的にアクティブであり黒人男性を好む女性がこう呼ばれる、あるいは自称することがある。このブラパン女性たちの一部には選民意識が存在し、自分の交際相手の黒人が「アフリカン・アメリカン」である事を誇りに思っている。その為、アフリカ人男性と付き合っている女性に対しては、侮蔑的に「アフパン」と呼んでいる。アフパンは大きく分けて、アフリカンをあえて好む者と、アフリカンとアフリカンアメリカンの区別ができないカケパン(駆け出しのブラパン)の二通りに分かれる。 また、「オバパン」(引退した年嵩のブラパン)などの蔑称まで存在する。
- 上記の様々な呼称に対し、日本人専門の私娼を指す「和パン」という語も生まれた。
- 按摩も行う売春婦は「パンマ」[1]。
- パンパンの使う英語を「パングリッシュ」と言う。主に知的レベルの低いアメリカ軍の下級兵士のスラングから学ぶため、品位を欠くのが特徴とされる。
- 女性のみならず、外国人にゴマをすって金もうけをする男のことを「パンパンボーイ」と蔑称で呼ぶこともあった。[3]
語源
諸説あってはっきりしていない。以下列挙する。
- インドネシア語で女を指す「プロムパン」から転化。米兵が伝える[4]。
- フランス語で優美で人目を引くという意味の「パンパント」から転化。米兵が伝える。
- パン2個で買える安さから。またはパン2個でついていく尻軽さから。自然発生。
- 後背位で性交を行う際、男性の下腹部が女性の尻に当たって「パンパン」という音を発することから流用。
- 沖縄の俗語で芸者を指す「ペンペン(三線の音の意味)」から転化。日本海軍で使用[4]
- イギリス軍が使用した対空砲「ポンポン砲」(pom-pom-gun)がピストン運動をすることに喩えて、「ポンポン」(pon-pon)が訛ったもの。
- 戦後、津々浦々にいて、呼ぶときには手をパンパンと叩いて呼んだため。[5]。
- 性病に当たる可能性があることから危険を顧みない、鉄砲(パンパン)玉に当たってイチコロ覚悟、からとも。
- 第一次大戦後、日本の委任統治領となったサイパンで、日本海軍の水兵たちがチャモロ族の女性を「パンパン」と手を叩いて呼び、その肉体を味わったことから。その後娼婦も含めた大量移民があったことから「パンパン」と呼ぶ対象が日本人女性にも広まり、また水兵が大東亜の寄港地各地に広めてしまった。現地の水兵たちは「明日は日曜、パンパン上陸」などと言う歌を歌い、パンパン女、パンパン屋、パンパン坂などの発展形も見られた[6]。
- 深夜に慰安所を訪れた兵士が「パンパン」とドアを叩いて女を起こしたことから[7]。
- 仏印のある町で若い女が日本兵に対して「パンパン」と乾パンを懇願していた様を、戦後、米兵に対して似たような行為に及ぶ日本人女性に投影したと言う説[8]。
有名なパンパン
- ラク町おとき ― 「ラク町」こと有楽町で200人もの夜の女を支配していたリーダー格。本名・西田時子(故人・当時19歳)。1947年4月、NHKのラジオ番組「街頭録音」で、アナウンサーの藤倉修一の隠し録りインタビューが放送され、一躍時の人となる。彼女が口ずさんだ流行歌「星の流れに」の一節、「こんな女に誰がした」は流行語となった。
- メリーさん
パンパンを題材とする作品
- 『肉体の門』(1947年小説、田村泰次郎原作)
- 『夜の女たち』(1948年映画、溝口健二監督、田中絹代主演)
- 『恋文』(1953年映画、田中絹代監督、森雅之・久我美子主演)
- 『女ばかりの夜』(1961年映画、田中絹代監督、原知佐子主演)
- 『ゼロの焦点』(1959年刊行、1961年・2009年映画化、1961年・1971年・1976年・1983年・1991年・1994年テレビドラマ化 松本清張原作)
脚注
参考文献
- 神崎清 『決定版・神崎レポート 売春』 1974年12月 現代史出版会
- 三橋順子 (2004). "パンパン". 性の用語集 (講談社): 296.
- 西田稔『基地の女 特殊女性の実態』(河出書房、1953年)
- 『日本の貞操』(水野浩編、1953年)
関連項目
外部リンク
- 戦後日本の米兵と日本人売春婦 ―もうひとつのグローバリゼーション 田中雅一、国際日本文化研究センター、2010.3.25
「パンパン」の書誌情報
- 項目名: パンパン
- 著作者: ウィキペディアの執筆者
- 発行所: ウィキペディア日本語版
- 更新日時: 2014年10月21日 02:03 (UTC)
- 取得日時: 2015年6月6日 15:29 (UTC)
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