林芙美子

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林 芙美子
 (はやし ふみこ)

職業
小説家
活動期間
1928年 - 1951年
ジャンル
小説・随筆・詩
代表作
『放浪記』(1930年)
 『浮雲』(1951年)
 『めし』(1951年)

林 芙美子(はやし ふみこ、1903年(明治36年)12月31日 - 1951年(昭和26年)6月28日)は、日本の小説家。物心ついた小学生時代に貧しかった生い立ちからか、底辺の庶民を慈しむように描いた作品に、ことに名作がある。「文壇に登場したころは『貧乏を売り物にする素人小説家』、その次は『たった半年間のパリ滞在を売り物にする成り上がり小説家』、そして、シナ事変から太平洋戦争にかけては『軍国主義を太鼓と笛で囃し立てた政府お抱え小説家』など、いつも批判の的になってきました。/しかし、戦後の六年間はちがいました。それは、戦さに打ちのめされた、わたしたち普通の日本人の悲しみを、ただひたすらに書きつづけた六年間でした」[1]というように波瀾万丈だった。

生涯[編集]
当人は、生まれは下関と言い、生年は明治37年、誕生日は5月5日などとも書いて語っていたが、没後20年余り経って、誕生の地は門司市小森江(現、北九州市門司区)との説が発表された[2][3]。(ただし出生届は叔父の家の現・鹿児島市に明治36年12月31日誕生として翌1月に出ている[4][5]。)

実父は宮田麻太郎、母はキク。麻太郎が認知しなかったので、娘は『林フミ子』として、母方の叔父の戸籍に入った。麻太郎は下関で競り売りやテキ屋をやって当て、1907年若松市(現・北九州市若松区)へ移って繁盛したが、浮気して、母子は1910年、番頭の沢井喜三郎と家を出た。養父と母は北九州の炭坑町を行商して回り、芙美子の小学校は長崎・佐世保・下関と変わった。喜三郎は下関で古着屋を営んで小康を得たが1914年倒産し、11歳の芙美子は本籍地の鹿児島に預けられたのち、旅商いの両親に付いて山陽地方木賃宿を転々した。1916年(大正5年)(13歳)、尾道市にしばらく落ち着き、翌年、市立尾道小学校(現・尾道市立土堂小学校)を2年遅れで卒業した。
 
1918年(大正9年)(15歳)、文才を認めた訓導の勧めで尾道市立高等女学校(現・広島県立尾道東高等学校)へ進学した。図書室の本を読み耽り、夜や休日は働いた。女学校の教諭も文才を育んだ。18歳のときから『秋沼陽子』の筆名で、地方新聞に詩や短歌を載せた。尾道では親友たちに恵まれ、後年もしばしば「帰郷」した。

1922年(19歳)、女学校卒業直後、遊学中の恋人を頼って上京し、下足番、女工、事務員・女給などで自活し、義父・実母も東京に来てからは、その露天商を手伝った。翌1923年、卒業した恋人は帰郷して婚約を取り消した。9月の関東大震災を、3人はしばらく尾道や四国に避けた。この頃から筆名に『芙美子』を用い、つけ始めた日記が『放浪記』の原型になった。

1924年、親を残して東京に戻り、再び3人の生計を稼いだ。壺井繁治岡本潤高橋新吉小野十三郎辻潤平林たい子らを知った。同棲しては別れることを繰り返した。詩のパンフレット『二人』を、友谷静栄と3号まで出した。原稿を雑誌社・出版社に売り込んで回り、ときに拾われた。

1926年(23歳)、画学生の手塚緑敏(まさはる、通称りょくびん)[6]と内縁の結婚をし、落ち着いた。緑敏は実直で、妻の執筆を助ける人であった。

1928年(昭和3年)2月、長谷川時雨主宰の女人芸術誌が芙美子の詩『黍畑』を載せ、10月から翌々年10月まで20回、自伝的小説『放浪記』を連載した。その間の1929年6月には友人の寄金を受けて、初の単行本の、詩集『蒼馬を見たり』を自費出版した。『放浪記』は好評で、1930年改造社刊行の『放浪記』と『続放浪記』とは、昭和恐慌の世相の中で売れに売れ、芙美子は流行作家になった。印税で中国へ一人旅した。講演会などの国内旅行も増えた。

1931年11月、朝鮮・シベリヤ経由でパリへ一人旅した。既に満州事変は始まっていた。金銭の余裕があれば旅に出て、向こう見ずな単独行を怖じなかった。ロンドンにも住み、1932年6月に帰国した。旅先から紀行文を雑誌社に送り続けた。

1935年(昭和10年)(32歳)の短編『牡蠣』は、私小説的な作風を離れた本格的な小説として、評価された。

1937年の南京攻略戦には、毎日新聞の特派員として現地に赴いた[7]。1938年の武漢作戦には、内閣情報部の『ペン部隊』の紅一点として従軍し、男性陣を尻目に陥落後の漢口へ一番乗りした(『戦線』、『北岸部隊』)。「共産党にカンパを約した」との嫌疑で、1933年に中野警察署が留置したのは的外れで、芙美子は思想ではない行動の人だった。

「おもな文業」の項からうかがえる活発な文筆活動を続けながら、1940年には北満州と朝鮮に行った。1941年には、「ついのすみか」となった自宅を下落合に新築し、飛行機で満州国境を慰問した。『放浪記』『泣虫小僧』などが発売禁止処分を受けた。日米交渉が難航していた。

太平洋戦争前期の1942年10月から翌年5月まで、陸軍報道部報道班員としてシンガポール・ジャワ・ボルネオに滞在した。戦局が押し詰まって出版界も逼塞し、1944年4月から、綠敏の故郷に近い長野県の上林温泉、次いで角間温泉疎開した。しばらく二階を借りた民家が、林芙美子文学館になっている。

下落合の自宅は空襲を免れ、1945年(昭和20年)10月に帰京した。自由に書ける時代を喜んだ。用紙事情は厳しかったものの、人は活字に飢えていて、翌1946年から新旧の出版社が動き始めた。

かって原稿の売り込みに苦労して、人気作家になってからも執筆依頼を断らぬ芙美子は、ジャーナリズムに便利だった。書きに書いた。その中に『晩菊』や『浮雲』などの名品もあった。私用や講演や取材の旅も繁くした。1949年から1951年に掛けては、9本の中長編を並行に、新聞・雑誌に連載した。

1951年(昭和26年)、6月26日の夜分、『主婦の友』の連載記事のため料亭を2軒回り、帰宅後に苦しみ、翌27日払暁心臓麻痺で急逝した。『ジャーナリズムに殺された』と、世間は言った。

なお、急逝の直前、6月24日には、NHKラジオの生放送「林芙美子さんを囲んで」に出演し、女子大生数人に対し質疑応答をおこなっている。この中で芙美子本人が「すでに晩年であると思い、むだな球は投げない」とも語っていた。この放送は録音保存され、直近では2011年7月26日にNHK第2ラジオで放送された。

7月1日、自宅で告別式が執り行われた。近在の市民が大勢参列した。葬儀委員長の川端康成[8]は、『故人は、文学的生命を保つため、他に対して、時にはひどいこともしたのでありますが、しかし、後二、三時間もすれば、故人は灰となってしまいます。死は一切の罪悪を消滅させますから、どうか故人を許して貰いたいと思います』と弔辞の中で述べたという[9]。

『純徳院芙蓉清美大姉』。萬昌院功運寺に埋葬した。享年47。生前、色紙などに好んで、『花の命は短くて苦しきことのみ多かりき』と書いた。

1943年に新生児を貰い受けて養子にした泰は、1959年、事故死した。芙美子を支え続けた夫緑敏は、彼女の文業の整理に長く協力して、1989年物故した。

旧宅が新宿区立林芙美子記念館になっている。

おもな文業[編集]
多作で、また組み合わせを変えた短編集も出して、書誌は膨大である[11]。

単行本[編集]
林はほとんどの場合、作品をまず雑誌に掲載し、その後に単行本を刊行した。その初出の雑誌名は、全集[12]に詳しい。
1.表題の後ろの、たとえば S1 あるいは B1 は、『新潮社版あるいは文泉堂版全集の第1巻に収録されている』の意である。
2.各行の / 印の後は、2009年に最も近い年次の重版・改版であるが、短編集・随筆集など複数篇を集めた本の場合は、整合が正確でない。
『蒼馬を見たり』(S1 B1、詩34篇)、南宋書院(1930年)/日本図書センター(2002年)ISBN 9784820595595
『放浪記』(『九州炭坑街放浪記』を併録)(S2 B1、小説)、改造社、(1930年)/みすず書房(2004年)ISBN 9784622080442
『続放浪記』(S2 B1、小説)、改造社、(1930年)/みすず書房(2004年)
『彼女の履歴』(S3 B2 風琴と魚の町、S9 山の教師、など小説9篇)、改造社(1931年)/『風琴と魚の町・清貧の書』、新潮文庫 (2007年)ISBN 9784101061078 所収
『清貧の書』(S3 清貧の書、B15 瑪瑙盤、S3 屋根裏の椅子、S3 耳輪のついた馬、など小説13篇)改造社(1933年)/『風琴と魚の町・清貧の書』、新潮文庫 (2007年)所収
『面影』(S1 詩68篇)、文学クオタリイ社(1933年)
『散文家の日記』(S7 B4 散文家の日記、など随筆13篇)、改造社(1934年)/東方社(1956年)
『泣虫小僧』(S4 泣虫小僧、S3 山中歌合、S3田舎言葉、S4 蔓草の花、など小説12篇)、改造社(1935年)/フロンティアニセン フロンティア文庫(2005年)ISBN 9784861970627
『牡蠣』(S1 牡蠣、S3 人生譜、S4 帯広まで、S3 姉の日記、など小説8篇)、改造社(1935年)/『風琴と魚の町・清貧の書』新潮文庫 (2007年)所収
『野麦の唄』(S5 B3 野麦の唄、S4 鴛鴦、など小説7篇)、中央公論社(1936年)/尾崎書房(1948年)
『文学的断章』(S19 文学的自叙伝、など随筆43篇)、河出書房(1936年)/角川文庫(1956年)
『愛情伝』(S10 愛情伝、S4泉、S5 明暗、など小説6篇)、美和書房(1936年)/(1946年)
『愛情』(枯葉、追憶、葡萄の岸、鯉、泉、幸福、愛情、市立女学校、小説8篇すべてS4)、改造社(1936年)
『稲妻』(S5 B3 稲妻、B13 蝶々館、S4 青春譜、など小説4篇)、有光社(1936年)/角川文庫(1957年)
『女の日記』(S6 B3 小説)、第一書房(1937年)/角川文庫(1957年)
『花の位置』(S7 B4 花の位置、S7 B4 浅草暮らし、S7 B4 みれん、など小説12篇)、竹村書房(1937年)
『紅葉の懺悔』(B4 鯉、S3 田舎言葉、など小説3篇)、版画社(1937年)
『氷河』(S7 B4 晩春、S10 B11 雨、S7 B4 紅襟の燕、S5 B3 氷河、など小説12篇)、竹村書房(1938年)
『月夜』(S7 B4 杜鵑、S7 B4 黄昏の席、S7 B4 月夜、など小説10篇)、竹村書房(1938年)
『戦線』(従軍記)、朝日新聞社(1938年)/中公文庫(2006)ISBN 9784122047167
『北岸部隊』([B12]、従軍記)、中央公論社(1939年)/中公文庫(2002年)ISBN 9784122040595
『生活詩集』(S1 詩集)、六芸社(1939年)
『波濤』(B13 小説)、朝日新聞社(1939年)
『私の紀行』(紀行28篇)、新潮社(1939年)/立松和平編:『林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里』、岩波文庫(2003年)ISBN 9784003116920
蜜蜂』(S5 B3 旅館のバイブル、S7 B5 石鹸、S7 B3 明暗、S7 B4 黄鶴、S4 泉、S4 帯広まで、S7 B4 月夜、S4 枯葉、など小説10篇)、創元社(1939年)
『一人の生涯』(S8 B4 小説)、創元社(1940年)/創世社(1953年)
『青春』(S7 B4 青春、など小説13篇)、実業之日本社(1940年)/(1948年)
『悪闘』(S9 桶と生姜、S9 悪闘、S8 歯車、S9 運命、S9 大学生、S9 温泉宿、S9 馬の文章、など小説12篇)、中央公論社(1940年)
『女優記』(S9 女優記、S9 心]、など小説11篇)、新潮社(1940年)/日本社(1946年)
『七つの燈』(S8 B4 遠い湖、など小説2篇)、むらさき出版社(1940年)/東方社(1955年)
『魚介』(S9 魚介、S9 運命、S4 愛情、など小説8篇)、改造社(1940年)/新潮社(1950年)
『十年間』(B11 小説)、新潮社(1941年)/創世社(1953年)
『歴世』(S9 B5 歴世、B9 鶯、など 小説9篇)、甲鳥書林(1941年)
『初旅』(B9 初旅、など小説13篇)、実業之日本社(1941年)/東方社(1955年)
『川歌』(S20 小説)、新潮社(1941年)/角川文庫(1956年 - 1957年)
『雨』(S9 風媒、など小説6篇)、実業之日本社(1942年)
戦後『旅情の海』(S10 旅情の海、S10 なぐさめ、S10 放牧、S10 吹雪、S10 浮き沈み、S10 フローベルの恋、S10 旅、など小説10篇)、新潮社(1946年)/東方社(1956年)
『うき草』(S10 うき草、S10 夜の橋、S9 初旅、S10 かもめ、など小説8篇)、丹頂書房(1946年)/東方社(1956年)
『婦人の為の日記と随筆』(S12 童話の世界、など随筆12篇)、愛育社(1946年)
『旅館のバイブル』(S5 B3 旅館のバイブル、S5 B3 石鹸、S7 B4 足袋と鶯、など小説8篇)、大阪新聞社(1947年)
『一粒の葡萄』(B6 一粒の葡萄、など小説4篇)、南北書園(1947年)
『淪落』(S11 B6 雪の町、S11 B6 あひびき、S11 B6 河沙魚、S11 B6 ボルネオダイヤ、など小説6篇)、関東出版社(1947年)
『創作ノート』(S12 童話の世界、など随筆20篇)、酣灯社(1947年)
舞姫の記』(S8 舞姫の記、など小説4篇)、尾崎書房(1947年)/東方社(1956年)
『雁』(S10 ボナアルの黄昏、など小説3篇)、扶桑書房(1947年)
『夢一夜』(S11 B6 作家の手帳、S11 B6 夢一夜、など小説5篇)、世界文学社(1947年)
『巴里の日記』(S8 B4、1936年 - 1937年の日記)、東峰書房(1947年)
うず潮』(S16 B6、小説)、新潮社(1948年)/『うず潮・盲目の詩』、講談社文芸文庫、(1995年)ISBN 9784061963191」所収
『暗い花』(S10 暗い花、S7 B13 夜の蝙蝠傘、S11 B6 幕切れ、など小説10篇)、文藝春秋新社(1948年)
『放浪記第三部』(S2 B1、小説、戦前公開しなかった分)、留女書店(1949年)/みすず書房(2004年)
『女性神髄』(S6 B3、小説)養徳社(1949年)
『晩菊』(S10 吹雪、S13 B7 荒野の虹、S13 B7 水仙、S13 B7 晩菊、小説など11篇)、新潮社(1949)/講談社文芸文庫(1992年)ISBN 9784061961883
『第二の結婚』(B13、小説)、主婦と生活社(1949年)/東方社(1955年)
『牛肉』(S13 B7 牛肉、S17 B9下町、S22 B11 三つの南瓜、S47 B9 退屈な霜、S22 B11 うなぎ、S13 B7 ラ・シセーヌ、S13 B7 羽柴秀吉、S13 B7 トランク、S13 B7 骨、など小説11篇)、改造社(1949年)
『松葉牡丹』(S13 B7 松葉牡丹、S13 B7 白鷺、S17 B9 椰子の実、S13 B7 クロイツエル・ソナタ、小説4篇)、新潮社(1950年)
『槿花』(S22 B12、小説)、実業之日本社(1950年)
『夜猿』(S17 B9 鴉、S17 B9 夜猿、S17 B9 軍歌、S22 B11 めかくし鳳凰、S17 B9 上田秋成、など小説10篇)、新潮社(1950)
『茶色の眼』(S15 B8、小説)、朝日新聞社(1950年)/講談社文芸文庫(1994年)ISBN 9784061962583
『新淀君』(B14、小説)、読売新聞社(1950年)
『あばれ人妻』(S14 B7、小説)、六興出版(1950年)/東方社(1963年)
『冬の林檎』(S22 B11、小説)、新潮社(1951年)/角川文庫(1963年)
『絵本猿飛佐助』(B14、小説)、新潮社(1951年)/講談社 (1996)ISBN 9784062620574
浮雲』(S16 B8、小説)六興出版(1951年)/改版、新潮文庫(2003年)ISBN 9784101061030
没後『折れ蘆』(S17 B9 折れ蘆、S17 B9 冬の海、S17 B9 自動車の客、S17 B9 浮洲、S17 B9 金糸雀、S17 B9 天草灘、S17 B9 童話、S11 B6 あぢさゐ、など小説10篇)、新潮社(1951年)
『漣波』(S17 B9 漣波、S17 B9 女家族、S17 B9 菊尾花、小説3篇)、中央公論社(1951年)/『女家族』角川書店(1955年)
『めし』(S18 B9 めし、など小説2篇)朝日新聞社(1951年)/改版、新潮社 新潮オンデマンドブックス(2003年)ISBN 9784108652705
『晩春』(S7 B4 青春、など小説8篇)、東方社(1956年)
『下町』(S17 B9 御室の桜樹、など小説5篇)、角川文庫(1957年)
『あいびき』(小説10篇)、東方社(1957年)
林芙美子詩集』、思潮社 現代詩文庫(1984年)ISBN 9784783708117
武藤康史編:『林芙美子随筆集』、岩波文庫(2003年)ISBN 9784003116913』

全集[編集]
林芙美子全集』全23巻、新潮社(1951年 - 1953年)
林芙美子全集』全16巻、文泉堂出版(1977年)
林芙美子集』角川書店 昭和文学全集19 (1953年8月20日初版印刷、1953年8月25日初版発行)

関連文献[編集]
太田治子『石の花 林芙美子の真実』筑摩書房、2008年4月、ISBN 978-4480885265
川本三郎林芙美子の昭和』新書館、2003年1月、ISBN 978-4403210822
桐野夏生『ナニカアル』新潮社、2010年2月、ISBN 978-4104667031
佐藤公平『林芙美子実父への手紙』KTC中央出版、2001年10月、ISBN 4877582266
清水英子『林芙美子、初恋・尾道東京図書出版会、2008年5月、ISBN 978-4862232472
清水英子『林芙美子・恋の作家道』文芸社、2007年7月、ISBN 978-4286030302
清水英子『林芙美子・ゆきゆきて「放浪記」』新人物往来社、1998年6月、ISBN 4404026226
関川夏央『女流 林芙美子有吉佐和子集英社、2006年9月、ISBN 978-4087748185、文庫版: 集英社文庫、2009年8月、ISBN 978-4087464733
高山京子『林芙美子とその時代』論創社、2010年6月、ISBN 978-4846010461
竹本千万吉『人間・林芙美子』筑摩書房、1985年10月、ISBN 4480821996
土橋義信『林芙美子伝に真実をもとめて』近文社、1990年5月、ISBN 4906324444
深川賢郎『フミさんのこと 林芙美子尾道時代』渓水社、1995年6月、ISBN 4874403492
藤原牧子『『林芙美子』を訪ねる旅』鳴滝書房、1999年4月、ISBN 4-990011252
北海道文学館(編)『林芙美子…北方への旅』北海道文学館、2003年7月、[1]
望月雅彦『林芙美子ボルネオ島 南方従軍と『浮雲』をめぐって』ヤシの実ブックス、2008年7月、ISBN 978-4990369316
森英一『林芙美子の形成 その生と表現』有精堂出版、1992年5月、ISBN 4640310293
宮田俊行『林芙美子 『花のいのち』の謎』高城書房、2005年3月、ISBN 4887770693
清水正林芙美子屋久島』D文学研究会、2011年4月、ISBN 978-4-434-15532-1
日本大学芸術学部図書館(編)『林芙美子の芸術』日本大学芸術学部図書館、2011年11月
日本大学芸術学部図書館(編)『世界の中の林芙美子日本大学芸術学部図書館、2013年12月

映画化[編集]
『放浪記』(1935年)、PCL、木村荘十二監督、夏川静枝・堤真佐子ら
『泣虫小僧』(1938年)、東宝豊田四郎監督、林文雄・逢初夢子ら
『南風』(1939年)、松竹、渋谷実監督、田中絹代佐分利信
『めし』(1951年)、東宝成瀬巳喜男監督、上原謙原節子
『あわれ人妻』(1951年)、松竹、池田忠夫監督、若原雅夫・角梨枝子ら
うず潮』(1952年)、松竹、原研吉監督、月丘夢路佐田啓二
『稲妻』(1952年)、大映成瀬巳喜男監督、高峰秀子浦辺粂子
『真珠母』(1953年)、松竹、堀内真直監督、淡路恵子三橋達也
『妻』(1953年)、東宝成瀬巳喜男監督、上原謙・高峰峰子ら
『絵本猿飛佐助』(1953年)、森一生監督、水島道太郎・喜夛川千鶴ら
『晩菊』(1954年)、東宝成瀬巳喜男監督、杉村春子沢村貞子
『放浪記』(1954年)、東映、久松静児監督、角梨枝子・岡田英次ら
『若き日の誘惑』(1954年)、松竹、酒井辰雄監督、大木実・藤乃高子ら
浮雲』(1955年)、東宝成瀬巳喜男監督、高峰秀子森雅之
『下町』(1957年)、千葉泰樹監督、山田五十鈴三船敏郎
『女家族』(1961年)、東宝、久松静児監督、新珠三千代三益愛子
『放浪記』(1962年)、東宝成瀬巳喜男監督、高峰秀子田中絹代
うず潮』(1964年)、日活 、斎藤武市監督、吉永小百合奈良岡朋子
『稲妻』(1967年)、松竹、大庭秀雄監督、倍賞千恵子藤田まこと
 
脚注[編集]
1.^ 井上ひさし太鼓たたいて笛ふいて』(新潮社p.174)没後に行われた『私の本棚』で男子アナが語る前説。
2.^ 井上貞邦:『林芙美子と北九州』、北九州市医報(1972年 - 1973年)
3.^ 井上隆晴『二人の生涯』、光風社書店(1974年)
4.^ 佐藤公平 「林芙美子実父への手紙」 KTC中央出版 (2001/10)
5.^ 日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室 林芙美子の年齢
6.^ 林芙美子の年齢
7.^ このあたりから戦後にかけての芙美子は井上ひさし太鼓たたいて笛ふいて』(新潮社)に描かれている。プロデューサー三木孝は、"戦さはもうかるという物語"と芙美子を説得し、従軍記者に仕立て上げる。内閣情報部と陸軍部から派遣され、「太鼓たたいて笛ふいて」お広目屋よろしくふれまわる物語を書くために、各地を従軍した林芙美子が目のあたりにしたものは日本軍による侵略であり、暴挙であった。戦後一転して、まるで贖罪するかのように普通の日本人の悲しみを、生活を、ただひたすらに書きつづけた。
8.^ 芙美子は戦後間もなく1945年9月8日に康成宛に手紙を出していて「これから嘘を云はない/いゝものがかけるのハ/うれしいです それだけです/それだけでも 生きていたいです」と書いていた。
9.^ 新潮日本文学アルバム34、(1986)p.73
10.^ 桐野夏生『ナニカアル』新潮社、2010年2月、ISBN 978-4104667031 新潮社のキャッチフレーズは「林芙美子の秘められた愛を描いた」。
11.^ たとえば、「文泉堂版『林芙美子全集16巻』巻末の、今川英子編:『著書目録』
12.^ 「文泉堂版『林芙美子全集16巻』巻末の、今川英子編:『年譜』

出典[編集]
「『林芙美子全集16巻』、文泉堂(1977年)」巻末の、今川英子:『年譜』および『著書目録』
林芙美子』、新潮日本文学アルバム34、新潮社(1986)ISBN 410620634X
「『清貧の書・屋根裏の椅子』、講談社文芸文庫(1993年)ISBN 9784061962200」巻末の、『作家案内』、および、『著書目録』。

林芙美子」の書誌情報