幕末の四大人斬り

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幕末の四大人斬り

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幕末の四大人斬り(ばくまつのよんだいひときり)とは、幕末期の京都において暗殺活動を行った尊王攘夷派の4人の志士の呼称。

四大人斬り[編集]
田中新兵衛(たなか しんべえ、1832年 - 1863年7月11日)薩摩藩出身。島田正辰、本間精一郎など、多数の暗殺を行ったとされる。朔平門外の変において姉小路公知暗殺の嫌疑で京都で捕縛され、取り調べの最中に突如切腹

河上彦斎(かわかみ げんさい、1834年12月25日 - 1872年1月13日)熊本藩出身。京都・三条木屋町佐久間象山を暗殺した。明治維新後、二卿事件への関与や広沢真臣暗殺の嫌疑を理由にされ、斬首。

岡田以蔵(おかだ いぞう、1838年2月14日 - 1865年7月3日)土佐藩出身。井上佐市郎、池内大学など、多数の暗殺を行ったとされる。京都で捕縛、土佐にて拷問の末に一連の天誅を自白し、打ち首獄門。

中村半次郎桐野利秋)(なかむら はんじろう、1838年12月 - 1877年9月24日)薩摩藩出身。京都・東洞院通で赤松小三郎を暗殺した。明治維新後、西南戦争において反乱軍として政府軍と交戦の末、額に銃弾を受け戦死。

参考文献[編集]
大石学『幕末1000人』(世界文化社、2009年) ISBN 978-4418092345

 

「幕末の四大人斬り」の書誌情報