イギリス

 「イギリス」の書誌情報

 

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グレートブリテン及び北アイルランド連合王国
グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、英: the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、
通称の一例としてイギリス、あるいは英国(えいこく)は、ヨーロッパの主権国家である。

ヨーロッパ大陸の北西岸に位置し、同国はグレートブリテン (国全体を指して漠然と用いられる言葉) 島、
アイルランド島北東部、その他多くの島嶼を含む。
北アイルランドはイギリスの一部であり、アイルランド共和国と国境を接する。
この国境の他に、イギリスは大西洋に囲まれ、東に北海、南にイギリス海峡がある。
アイリッシュ海は、グレートブリテン島及びアイルランド島の間に位置する。
イギリスの総面積は243,610km2であり、世界第78位及びヨーロッパ第11位である。

イギリスの人口は2013年時点で推計6,410万人であり、世界第22位である。
同国の統治は、議院内閣制の立憲君主制に基づいている。[1][2]
首都ロンドンは、ヨーロッパ第2の規模の都市的地域及びユーロスタットによれば欧州連合最大の約1,400万人の人口を有する都市圏であり、重要な世界都市及び金融センターである。[3][4]

現在の君主は、1952年2月6日以来エリザベス2世である。
同国は4つの国で構成され、イングランドウェールズスコットランド北アイルランドがこれに該当する。

[5]後者3つは各々異なる権限を委譲された政権を有し、[6][7][8]首都は各々、カーディフエディンバラベルファストである。
ガーンジー、ジャージー、マン島はイギリスの一部ではなく、イギリス政府が防衛及び国際的表示に対して責任を負う王室属領である。[9]
イギリスは、紛争中のフォークランド諸島、ジブラルタル、インド洋地域を含む14の海外領土を有する。[10]

イギリス内の各国間の関係は、時とともに変化してきた。
ウェールズは1536年及び1543年の統一法の下、イングランド王国により併合された。
イングランド及びスコットランド王国間の連合条約により、1707年にグレートブリテン王国に統合され、1801年にはアイルランド王国と合併してグレートブリテン及びアイルランド連合王国を形成した。

1922年、アイルランドの6分の5が同国から脱退し、現在のグレートブリテン及び北アイルランド連合王国を形成した。
以前の植民地であるイギリスの海外領土は、19世紀後半及び20世紀前半に絶頂期を迎え、世界の陸塊のほぼ4分の1を網羅し、史上最大の帝国であったイギリス帝国の名残である。
イギリスの影響力は、以前の植民地の多くの国で、英語、文化、法制度において観測される。

イギリスは先進国であり、名目GDPで世界第6位、購買力平価では世界第10位である。
同国は高所得国であると考えられ、人間開発指数は世界第14位で「非常に高い」に分類される。
同国は世界初の工業化が成された国であり、19世紀から20世紀前半までの間、世界最高位の大国であった。

[11][12]同国は依然として列強であり続け、経済、文化、軍事、科学、政治で国際的な影響力を有する。[13]
[14][15]同国は核保有国として認められており、軍事費は世界第5位又は第6位である。[16][17]
1946年の第1回国際連合安全保障理事会以来、同国は同理事会常任理事国である。
同国は欧州連合 (EU) 及びその前身である欧州経済共同体 (EEC) の1973年以来の加盟国であり、
イギリス連邦欧州評議会、G7、G8、G20、北大西洋条約機構 (NATO)、経済協力開発機構 (OECD)、世界貿易機関 (WTO) 加盟国でもある。

国名[編集]
1707年連合法により、イングランド王国及びスコットランド王国
グレートブリテンの名により1王国への統合」
が宣言されたが、同法において、新国家は「グレートブリテン王国」、「グレートブリテン連合王国」及び「連合王国」とも言及された。[18][19]

しかしながら、「連合王国」という用語は18世紀における非公式の使用にのみ見られ、「長文式」でない単なる「グレートブリテン」であった1707年から1800年まで、同国はごくまれに正式名称である「グレートブリテン連合王国」と言及された。[20][21][22][23][24]

1800年連合法では、1801年にグレートブリテン王国及びアイルランド王国が統合し、
グレートブリテン及びアイルランド連合王国が成立した。
現在の正式国名である「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」は、
北アイルランド連合王国の一部としてとどまった1922年のアイルランド自由国独立及びアイルランド分裂後に採用された。[25]

イギリスは主権国家として国であるが、イングランドスコットランドウェールズ、それほどの段階ではないが北アイルランドも、主権国家ではないが国として見なされている。[26][27]
スコットランドウェールズ北アイルランドは、権限を委譲された自治を有する。[28][29]
イギリス首相のウェブサイトでは、連合王国の説明として「1国内の国々」という言葉が用いられていた。[5]
イギリスの12のNUTS1地域統計のような複数の統計的概要もまた、スコットランドウェールズ北アイルランドを「リージョン」と言及している。[30][31]
北アイルランドは「プロビンス」とも言及される。[26][32]
北アイルランドに関しては、記述名の使用が「多くの場合、個人の政治的選好を明らかにする選択で議論の的になり得る」。[33]

ブリテン」という言葉は、連合王国の同義語として頻繁に用いられる。
一方、「グレートブリテン」という言葉は、慣例的にグレートブリテン島を、又は政治的にイングランドスコットランドウェールズを結合して言及する。[34][35][36]
しかしながら、「グレートブリテン」は連合王国全体の緩い同義語として用いられる場合もある。[37][38]

"GB"及び"GBR"は、連合王国の標準国名コード (ISO 3166-2及びISO 3166-1 alpha-3を参照) であり、その結果として国際機関が連合王国への言及に用いる。
さらに、連合王国のオリンピックチームは「グレートブリテン」又は「チームGB」の名称を用いる。[39][40]

形容詞の「ブリティッシュ」は、連合王国に関する事項への言及によく用いられる。
「ブリティッシュ」は明白な法的含意はないが、連合王国の市民権及び国籍に関する事項への言及に法律上用いられる。[41]
連合王国の国民は、自らの国民性を表現するのに多数の異なる用語を用いり、
自らをイギリス人であるか、イングランド人、スコットランド人、ウェールズ人、北アイルランド人、アイルランド人[42]であるか、又はその両方であると見なし得る。[43]

2006年、イギリスのパスポートに新デザインが導入された。
新パスポートの1ページ目には、英語、ウェールズ語、スコットランドゲール語で正式国名が記載されている。
[44]ウェールズ語での正式国名は"Teyrnas Unedig Prydain Fawr a Gogledd Iwerddon"であり、
政府のウェブサイト上での略名は"Teyrnas Unedig"であるが[45]、
突然変異型の"Y Deyrnas Unedig"に対しては通常"DU"と短縮される。
スコットランドゲール語での正式国名は"Rìoghachd Aonaichte Bhreatainn is Èireann a Tuath"であり、
略名は"Rìoghachd Aonaichte"である。

歴史[編集]
1066年にノルマンディー公であったウィリアム征服王 (William the Conqueror) がイングランドを征服し、大陸の進んだ封建制を導入して、王国の体制を整えていった。
人口、経済力に勝るイングランドウェールズスコットランドを圧倒していった。

1282年にウェールズ地方にもイングランドの州制度がしかれ、1536年には正式に併合した(ウェールズ法諸法(英語版))。

1603年にイングランドスコットランド同君連合を形成、1707年、スコットランド合併法(1707年連合法)により、イングランドスコットランドは合併しグレートブリテン王国となった。

さらに1801年には、アイルランド合併法(1800年連合法)によりグレートブリテン王国アイルランド王国と連合し、グレートブリテン及びアイルランド連合王国となった。

ウィンザー朝のジョージ5世の1922年に英愛条約が発効され、北部6州(北アイルランド;アルスター9州の中の6州)を除く26州がアイルランド自由国(現アイルランド共和国)として独立した。

1927年に現在の名称へと改名した。
スコットランドが独立すべきかどうかを問う住民投票が2014年9月に実施されたが独立は否決された[46]。

イギリスは世界に先駆けて産業革命を達成し、19世紀始めのナポレオン戦争後は七つの海の覇権を握って世界中に進出し、カナダからオーストラリア、インドや香港に広がる広大な植民地を経営し、奴隷貿易が代表するような交易を繰り広げイギリス帝国を建設した。
中国国内でのアヘン販売を武力で認めさせるため、清朝に対して阿片戦争を仕掛けた。
イギリスの世界覇権は第一次世界大戦までで、二度の大戦を経てその後はアメリカが強大国として台頭する。

戦後、労働党のクレメント・アトリー政権が「ゆりかごから墓場まで」をスローガンにいち早く福祉国家を作り上げたが、階級社会の伝統が根強いこともあって経済の停滞を招き、1960年代以降は「英国病」とまで呼ばれる不景気に苦しんだ。

1980年代にマーガレット・サッチャー首相が経済再建のためにネオリベラリズム的なサッチャー主義に基づき、急進的な構造改革(民営化・行政改革規制緩和)を実施し、失業者が続出、地方経済は不振を極めたが、ロンドンを中心に金融産業などが成長した。

1990年代、政権は保守党から労働党トニー・ブレアに交代し、イギリスは市場化一辺倒の政策を修正した第三の道への路線に進むことになった。
このころからイギリスは久しぶりの好況に沸き、「老大国」のイメージを払拭すべくクール・ブリタニアと言われるイメージ戦略、文化政策に力が入れられるようになった。

地理[編集]
イギリスはグレートブリテン島イングランドウェールズスコットランド、およびアイルランド島北東部の北アイルランドで構成されている。
この2つの大きな島と、その周囲大小の島々をブリテン諸島と呼ぶ。
グレートブリテン島は中部から南部を占めるイングランド、北部のスコットランド、西部のウェールズに大別される。
アイルランド島から北アイルランドを除いた地域はアイルランド共和国がある。

イングランドの大部分は岩の多い低地からなり、西から東へと順に並べると、
北西の山がちな地域(湖水地方のカンブリア山脈)、
北部(ペニンネスの湿地帯、ピーク・ディストリクトの石灰岩丘陵地帯。
パーベック島、リンカンシャー石灰岩質の丘陵地帯)から南イングランドの泥炭質のノース・ダウンズ、サウス・ダウンズ、チルターンにいたる。
イングランドを流れる主な河川は、テムズ川セヴァーン川トレント川、ウーズ川である。
主な都市はロンドン、バーミンガム、ヨーク、ニューカッスル・アポン・タインなど。
イングランド南部のドーヴァーには、英仏海峡トンネルがあり、対岸のフランスと連絡する。
イングランドには標高 1000m を超える地点はない。

ウェールズは山がちで、最高峰は標高 1,085m のスノードン山である。本土の北にアングルシー島がある。ウェールズの首都また最大の都市はカーディフで、南ウェールズに位置する。

スコットランドは地理的に多様で、南部および東部は比較的標高が低く、ベン・ネヴィスを含む北部および西部は標高が高い。
ベン・ネヴィスはイギリスの最高地点で標高 1343 m である。
スコットランドには数多くの半島、湾、ロッホと呼ばれる湖があり、グレート・ブリテン島最大の淡水湖であるネス湖スコットランドに位置する。
スコットランドの西部また北部の海域には、ヘブリディーズ諸島オークニー諸島、シェットランド諸島を含む大小さまざまな島が位置する。
スコットランドの主要都市は首都エディンバラグラスゴーアバディーンである。

北アイルランドは、アイルランド島の北東部を占め、ほとんどは丘陵地である。中央部は平野で、ほぼ中央に位置するネイ湖はイギリス諸島最大の湖である。主要都市はベルファストとデリー。

現在イギリスは大小あわせて1098ほどの島々からなる。ほとんどは自然の島だが、いくつかはクランノグといわれる、過去の時代に石と木を骨組みに作られ、しだいに廃棄物で大きくなっていった人工の島がある。

イギリスの大半はなだらかな丘陵地及び平原で占められており、国土のおよそ90%が可住地となっている。
そのため、国土面積自体は日本のおよそ3分の2(本州と四国を併せた程度)であるが、可住地面積は逆に日本の倍近くに及んでいる。
イギリスは森林も少なく、日本が国土の3分の2が森林で覆われているのに対し、イギリスの森林率は11%ほどである[47]。

気候[編集]
イギリスの気候は2つの要因によって基調が定まっている。
まず、メキシコ湾流に由来する暖流の北大西洋海流の影響下にあるため、北緯50度から60度という高緯度にもかかわらず温暖であること、
次に中緯度の偏西風の影響を強く受けることである。
以上から西岸海洋性気候 (Cfb) が卓越する。大陸性気候はまったく見られず、気温の年較差は小さい。

メキシコ湾流の影響は冬季に強く現れる。
特に西部において気温の低下が抑制され、気温が西岸からの距離に依存するようになる。
夏季においては緯度と気温の関連が強くなり、比較的東部が高温になる。
水の蒸散量が多い夏季に東部が高温になることから、年間を通じて東部が比較的乾燥し、西部が湿潤となる。

降水量の傾向もメキシコ湾流の影響を受けている。
東部においては、降水量は一年を通じて平均しており、かつ、一日当たりの降水量が少ない。
冬季、特に風速が観測できない日には霧が発生しやすい。
この傾向が強く当てはまる都市としてロンドンが挙げられる。
西部においては降水量が2500mmを超えることがある。

首都ロンドンの年平均気温は10.0度、年平均降水量は750.6mm。1月の平均気温は4.4度、7月の平均気温は17.1度。

政治[編集]
政体は立憲君主制をとっている。
不文憲法の国家であり、一つに成典化された憲法典はなく、
制定法(議会制定法だけでなく「大憲章(マグナ・カルタ)」のような国王と貴族の契約も含む)や判例法、
歴史的文書及び慣習法(憲法的習律と呼ばれる)などイギリスの憲法を構成している。

憲法を構成する法律が他の法律と同様に議会で修正可能なため軟性憲法と呼ばれる。
国家元首はイギリスの君主であるが、憲法を構成する慣習法の一つに「国王は君臨すれども統治せず」とあり、
その存在は極めて儀礼的である。
このように歴史的にも人の支配を排した法の支配が発達しており、伝統の中に築かれた民主主義が見て取れる。
また、立法権優位の議会主義が発達している。
議院内閣制や政党制(複数政党制)など、現在多くの国家が採用している民主的諸制度が発祥した国として有名である。

立法権は議会に、行政権は首相及び内閣に、司法権はイギリス最高裁判所及び以下の下級裁判所によって行使される。

イギリスの議会は、上院(貴族院)と下院(庶民院)の二院制である。
1911年に制定された議会法(憲法の構成要素の一つ)により、「下院の優越」が定められている。

議院内閣制に基づき、行政の長である首相は憲法的習律に従って下院第一党党首(下院議員)を国王が任命、
閣僚は議会上下両院の議員から選出される。
下院は単純小選挙区制による直接選挙(普通選挙)で選ばれるが、
上院は非公選であり任命制である。
近年、従来右派の保守党と左派の労働党により二大政党制化して来たが、
近年では第三勢力の自由民主党(旧自由党の継承政党)の勢力も拡大している。

1996年に北アイルランド議会が、1999年にはスコットランド議会とウェールズ議会が設置され、自治が始まった。
スコットランドには主にスコットランド国民党によるスコットランド独立運動が存在し、北アイルランドには20世紀から続く北アイルランド問題も存在する。

外交と軍事[編集]
イギリスは安全保障理事会の常任理事国であり、G8、NATO、EUの加盟国である。
そして、アメリカ合衆国と歴史的に「特別な関係」を持つ。
アメリカ合衆国とヨーロッパ以外にも、イギリスと密接な同盟国は、連邦国と他の英語圏の国家を含む。
イギリスの世界的な存在と影響は、各国との相補関係と軍事力を通して拡大されている。
それは、世界中で約80の軍事基地の設置と軍の配備を維持していることにも現れている[48]。
2011年の軍事支出は627億ドルと一定水準を保っている。

イギリスの軍隊は「イギリス軍」[49]または「陛下の軍」[50]として知られている。
しかし、公式の場では「アームド・フォーシーズ・オブ・ザ・クラウン」[51]と呼ばれる[52](クラウンは冠、王冠の意)。
全軍の最高司令官はイギリスの君主であるが、首相が事実上の指揮権を有している。
軍の日常的な管理は国防省に設置されている国防委員会によって行われている。

イギリスの軍隊は各国の軍隊に比べて広範囲にわたる活動を行い、世界的な戦力投射能力を有する軍事大国の1つに数えられ、国防省によると軍事費は世界で2位を誇る。
現在、軍事費はGDPの2.5%を占めている[53]。
イギリス軍はイギリス本国と海外の領土を防衛しつつ、世界的なイギリスの将来的国益を保護し、国際的な平和維持活動の支援を任ぜられている。

2005年の時点で陸軍は102,440名、空軍は49,210名、海軍(海兵隊を含む)は36,320名の兵員から構成されており、イギリス軍の190,000名が現役軍人として80か国以上の国に展開、配置されている[54]。

イギリスは核兵器の保有を認められている5カ国の1つであり、核弾頭搭載のトライデント II 潜水艦発射弾道ミサイル (SLBM) を運用している。
イギリス海軍は、トライデント IIを搭載した原子力潜水艦4隻で核抑止力の任務に担っている。

イギリス軍の幅広い活動能力にも関わらず、最近の国事的な国防政策でも協同作戦時に最も過酷な任務を引き受けることを想定している[55]。
イギリス軍が単独で戦った最後の戦争はフォークランド紛争で、全面的な戦闘が丸々3か月続いた。
現在はボスニア紛争コソボ紛争アフガニスタン侵攻、イラク戦争など、アメリカ軍やNATO諸国との連合作戦が慣例となっている。
イギリス海軍の軽歩兵部隊であるイギリス海兵隊は、水陸両用作戦の任務が基本であるが、イギリス政府の外交政策を支援するため、軽歩兵部隊の特性を生かして海外へ即座に展開できる機動力を持つ。

地方行政区分[編集]
連合王国の地方行政制度は次の各地方によって異なっている。
イングランド
スコットランド
ウェールズ
北アイルランド

このほか、連合王国には含まれないものの、連合王国がその国際関係について責任を負う地域として、海外領土および王室属領が存在する。

主要都市[編集]
イギリスは四つの非独立国であるイングランドスコットランドウェールズ北アイルランドより構成される。
それぞれの国は首都を持ち、
ロンドン(イングランド)、
エディンバラスコットランド)、
カーディフウェールズ)、
ベルファスト北アイルランド)がそれである。
中でもイングランドの首都であるロンドンは、イギリスの首都としての機能も置かれる。 

科学技術[編集]
17世紀の科学革命はイングランドスコットランドが、18世紀の産業革命はイギリスが世界の中心であった。
重要な発展に貢献した科学者と技術者を多数輩出している。
アイザック・ニュートンチャールズ・ダーウィン、電磁波のジェームズ・クラーク・マックスウェル、そして最近では宇宙関係のスティーブン・ホーキング。

科学上の重要な発見者には水素のヘンリー・キャベンディッシュ、ペニシリンのアレクサンダー・フレミング、DNAのフランシス・クリックがいる。
工学面ではグラハム・ベルなど。科学の研究・応用は大学の重要な使命であり続け、2004年から5年間にイギリスが発表した科学論文は世界の7%を占める。
学術雑誌ネイチャーや医学雑誌ランセットは世界的に著名である。

経済[編集]
IMFによると、2013年のイギリスのGDPは2兆5357億ドルであり、世界第6位、欧州では、ドイツ、フランスに次ぐ第3位である[56]。
同年の一人当たりのGDPは39,567ドルである[56]。

首都ロンドンはニューヨークや香港などと共に世界トップレベルの金融センターである[58]。
ロンドンのシティには、世界屈指の証券取引所であるロンドン証券取引所がある。
イギリスの外国為替の1日平均取引金額は2兆7260億ドルであり、アメリカの2倍以上の規模を誇り世界一である[59]。
富裕層人口も非常に多く、金融資産100万ドル以上を持つ富裕世帯は約41万世帯と推計されており、アメリカ、日本、中国に次ぐ第4位である[60]。
また、金融資産1億ドル以上を持つ超富裕世帯は1,125世帯と推計されており、アメリカに次ぐ第2位である[60]。

18世紀の産業革命以降、近代において世界経済をリードする工業国で、造船や航空機製造などの重工業から金融業やエンターテイメント産業に至るまで、様々な産業が盛んである。
しかしながら、19世紀後半からはアメリカ合衆国ドイツ帝国の工業化により世界的優位は失われた。

イギリスの金融資本は自国内の製造業への投資より、アメリカ合衆国や植民地への投資を優先したため、イギリス製造業はしだいにドイツ・フランスやアメリカ合衆国に立ち後れるようになってゆく。
20世紀に入るころより国力は衰え始め、二度の世界大戦は英国経済に大きな負担を与えた。
各地の植民地をほとんど独立させた1960年代後半には経済力はいっそう衰退した。

戦後の経済政策の基調は市場と国営セクター双方を活用する混合経済体制となり、左派の労働党は「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる公共福祉の改善に力を入れ、保守党も基本的にこれに近い政策を踏襲、1960年代には世界有数の福祉国家になった。
しかし、オイルショックを契機とした不況になんら実用的な手立てを打たなかったために、継続的な不況に陥り、企業の倒産やストが相次いだ。
20世紀初頭から沈滞を続けたイギリス経済は深刻に行き詰まり、英国病とまで呼ばれた。

1979年に登場したサッチャー政権下で国営企業の民営化や各種規制の緩和が進められ、1980年代後半には海外からの直接投資や証券投資が拡大した。
この過程で製造業や鉱業部門の労働者が大量解雇され、深刻な失業問題が発生。
基幹産業の一つである自動車産業の殆どが外国企業の傘下に下ったが、外国からの投資の拡大を、しだいに自国の産業の活性化や雇用の増大に繋げて行き、その後の経済復調のきっかけにして行った(ウィンブルドン現象)。

その後、1997年に登場したブレア政権における経済政策の成功などにより、経済は復調し、アメリカや他のヨーロッパの国に先駆けて好景気を享受するようになったが、その反面でロンドンを除く地方は経済発展から取り残され、貧富の差の拡大や不動産価格の上昇などの問題が噴出してきている。
さらに、2008年にはアメリカ合衆国サブプライムローン問題の影響をまともに受けて金融不安が増大した上に、資源、食料の高騰の直撃を受け、アリスター・ダーリング財務大臣が「過去60年間で恐らく最悪の下降局面に直面している」と非常に悲観的な見通しを明らかにしている[61]。
2012年2月時点で失業率は8%を超えるまでに悪化した状態にある。

鉱業[編集]
イギリスの鉱業産業革命を支えた石炭が著名である。
300年以上にわたる採炭の歴史があり、石炭産業の歴史がどの国よりも長い。
2002年時点においても3193万トンを採掘しているものの、ほぼ同量の石炭を輸入している。
北海油田からの原油採掘量は1億1000万トンに及び、これは世界シェアの3.2%に達する。
最も重要なエネルギー資源は天然ガスであり、世界シェアの4.3%(第4位)を占める。
有機鉱物以外では、世界第8位となるカリ塩 (KCl) 、同10位となる塩 (NaCl) がある。
金属鉱物には恵まれていない。最大の鉛鉱でも1000トンである。

農業[編集]
最も早く工業化された国であり、現在でも高度に工業化されている。
農業の重要性は低下し続けており、GDPに占める農業の割合は2%を下回った。
しかしながら、世界シェア10位以内に位置する農産物が8品目ある。
穀物ではオオムギ(586万トン、世界シェア10位、以下2004年時点)、
工芸作物では亜麻(2万6000トン、5位)、テンサイ(790万トン、9位)、ナタネ(173万トン、5位)、ホップ(2600トン、6位)である。
家畜、畜産品では、ヒツジ(3550万頭、7位)、羊毛(6万5000トン、5位)、牛乳(1480万トン、9位)が主力。

貿易[編集]
イギリスは産業革命成立後、自由貿易によって多大な利益を享受してきた。
ただし、21世紀初頭においては貿易の比重は低下している。
2004年時点の貿易依存度、すなわち国内総生産に対する輸出入額の割合は、ヨーロッパ諸国内で比較するとイタリアと並んでもっとも低い。
すなわち、輸出16.1%、輸入21.3%である。

国際連合のInternational Trade Statistics Yearbook 2003によると、品目別では輸出、輸入とも工業製品が8割弱を占める。
輸出では電気機械(15.2%、2003年)、機械類、自動車、医薬品、原油、輸入では電気機械 (16.3%)、自動車、機械類、衣類、医薬品の順になっている。

貿易相手国の地域構成は輸出、輸入ともヨーロッパ最大の工業国ドイツと似ている。
輸出入とも対EUの比率が5割強。
輸出においてはEUが53.4%(2003年)、次いでアメリカ合衆国15.0%、アジア12.1%、輸入においてはEU52.3%、アジア15.1%、アメリカ合衆国9.9%である。

国別では、主な輸出相手国はアメリカ合衆国(15.0%、2003年)、ドイツ (10.4%)、フランス (9.4%)、オランダ (5.8%)、アイルランド (6.5%)。輸入相手国はドイツ (13.5%)、アメリカ合衆国 (9.9%)、フランス (8.3%)、オランダ (6.4%)、中華人民共和国 (5.1%) である。

通貨[編集]
EU加盟国ではあるが、通貨はユーロではなくスターリング・ポンド (GBP) が使用されている。
補助単位はペニーで、1971年より1ポンドは100ペンスである。
かつてポンドはUSドルが世界的に決済通貨として使われるようになる以前、イギリス帝国の経済力を背景に国際的な決済通貨として使用された。
イギリスの欧州連合加盟に伴い、ヨーロッパ共通通貨であるユーロにイギリスが参加するか否かが焦点となったが、イギリス国内に反対が多く、通貨統合は見送られた。
イングランド銀行連合王国中央銀行であるが、スコットランド北アイルランドでは地元の商業銀行も独自の紙幣を発行している。
イングランド銀行の紙幣にはエリザベス女王が刷られており、連合王国内で共通に通用する。
スコットランド紙幣、北アイルランド紙幣ともに連合王国内で通用するが、受け取りを拒否されることもある。

交通[編集]

道路[編集]
自動車は左側通行である。また、インド・オーストラリア・香港・シンガポールなど、旧イギリス植民地の多くが左側通行を採用している。

鉄道[編集]
近代鉄道の発祥の地であり国内には鉄道網が張り巡らされ、ロンドンなどの都市には14路線ある地下鉄(チューブトレイン)網が整備されている。
しかし1960年代以降は設備の老朽化のために事故が多発し、さらに運行の遅延が常習化するなど問題が多発している。

小規模の民間地方鉄道の運営する地方路線の集まりとして誕生したイギリスの鉄道は、19世紀から20世紀前期にかけて、競合他社の買収などを通じて比較的大規模な少数の会社が残った。
1921年にはついにロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道、
ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道、
グレート・ウェスタン鉄道、
サザン鉄道の4大鉄道会社にまとまり、これらは1948年に国有化されてイギリス国鉄 (BR) となった。
しかし1994~97年にBRは、旅客輸送・貨物輸送と、線路や駅などの施設を一括管理する部門に分割されて民営化された。

1994年開業したイギリス、フランス両国所有の英仏海峡トンネルは、イングランドのフォークストンからフランスのカレーまで、イギリス海峡の海底130mを長さ50.5kmで走る3本の並行したトンネルからなる。
1本は貨物専用で、残り2本は乗客・車・貨物の輸送に使われる。
このトンネルを使ってセント・パンクラス駅からはヨーロッパ大陸との間を結ぶユーロスターが運行され、パリやブリュッセル、リールなどのヨーロッパ内の主要都市との間を結んでいる。

海運[編集]
周囲を海に囲まれている上、世界中に植民地を持っていたことから古くからの海運立国であり、P&Oやキュナード・ラインなど多くの海運会社がある。
また、歴史上有名な「タイタニック号」や「クイーン・エリザベス2」、「クイーン・メリー2」などの著名な客船を運航している。

航空[編集]
民間航空が古くから発達し、特に国際線の拡張は世界に広がる植民地間をつなぐために重要視されてきた。
現在は、ブリティッシュ・エアウェイズやヴァージン・アトランティック航空、bmiイージージェットなどの航空会社がある。

中でもブリティッシュ・エアウェイズは、英国海外航空と英国欧州航空の2つの国営会社が合併して設立され、1987年に民営化された世界でも最大規模の航空会社である。
1976年にはフランスの航空会社、エール・フランスとともに、コンコルド機を開発して世界初の超音速旅客輸送サービスを開始。
しかし、老朽化とコスト高などにより2003年11月26日をもって運航終了となり、コンコルドは空から姿を消した。

主な空港として、ロンドンのヒースロー空港、ガトウィック、スタンステッドのほか、ルートン、マンチェスターグラスゴー空港などが挙げられる。

日本との間には2014年9月現在、ヒースロー空港と成田空港の間にブリティッシュ・エアウェイズ、ヴァージン・アトランティック航空がそれぞれ1日1便直行便を運航している。
またヒースロー空港羽田空港の間にも、ブリティッシュ・エアウェイズ日本航空全日空がそれぞれ1日1便直行便を運航している。

通信[編集]
近年のイギリスでは、スマートフォンの利用者が増加している。
ヒースロー空港などに自動販売機でSIMカードを購入できるようになっている。
プリペイド式となっており、スーパーなどで、通話・通信料をチャージして使う。

おもな通信業者
ボーダフォン イギリス
Orange フランス T-Mobile(イギリス)と資本合併
T-Mobile ドイツ Orange(イギリス)と資本合併
O2 スペイン Telefonica傘下
3(Three) 香港

国民[編集]
「イギリス民族」という民族は存在しない。
主な民族はイングランドを中心に居住するゲルマン民族系のイングランド人(アングロ・サクソン人)、
ケルト系のスコットランド人、アイルランド人、ウェールズ人だが、
旧植民地出身のインド系(印僑)、アフリカ系、カリブ系、アラブ系や華僑なども多く住む多民族国家である。

イギリスの国籍法では、旧植民地関連の者も含め、自国民を次の六つの区分に分けている。
GBR:British Citizen - 英国市民 本国人
GBN:British National (Overseas) - 英国国民(海外)※「BN(O)」とも書く。 英国国籍で、香港の住民権も持つ人。
GBD:British Dependent (Overseas) Territories Citizen - イギリス属領市民 植民地出身者
GBO:British Overseas Citizen - イギリス海外市ギリシャ西岸の諸島・インド・パキスタン・マレーシアなどの旧植民地出身者のうち特殊な歴史的経緯のある者
GBP:British Protected Person - イギリス保護民
GBS:British Subject - イギリス臣民 アイルランド(北部以外)・ジブラルタルなどGBDやGBOとは別の経緯のある地域の住民で一定要件に該当する者

いずれの身分に属するかによって、国内での様々な取扱いで差異を生ずることがあるほか、パスポートにその区分が明示されるため、海外渡航の際も相手国により取扱いが異なることがある。
例えば、日本に入国する場合、British citizen(本国人)とBritish National (Overseas)(英国籍香港人)は短期訪問目的なら査証(ビザ)不要となるが、残りの四つは数日の観光訪日であってもビザが必要となる。

言語[編集]
事実上の公用語は英語(イギリス英語)でありもっとも広く使用されているが、
イングランドの主にコーンウォールコーンウォール語
ウェールズの主に北部と中部でウェールズ語、
スコットランドの主にローランド地方でスコットランド語、
ヘブリディーズ諸島の一部でスコットランドゲール語
北アイルランドの一部でアルスター・スコットランド語とアイルランド語が話されており、
それぞれの構成国で公用語になっている。

特に、ウェールズでは1993年にウェールズ語が公用語になり、英語と同等の法的な地位を得た。
2001年現在、ウェールズ人口の約20%がウェールズ語を使用し、その割合は僅かではあるが増加傾向にある。
公文書や道路標識などはすべてウェールズ語と英語とで併記される。
また、16歳までの義務教育においてウェールズ語は必修科目であり、ウェールズ語を主要な教育言語として使用し、英語は第二言語として扱う学校も多く存在する。

宗教[編集]
10年に一度行われるイギリス政府の国勢調査によれば、
2001年、キリスト教徒が71.6%、イスラム教徒が2.7%、ヒンドゥー教徒が1.0%。
2011年、キリスト教徒74.7%、イスラム教徒2.3%、ヒンドゥー教徒が1.1%。
キリスト教徒が増えた背景には、2011年4月29日のウィリアム王子の結婚が影響しているという見解がある。

キリスト教の内訳は、英国国教会が62%、カトリックが13%、長老派が6%、メソジストが3%程度と推定されている[62]。

婚姻[編集]
婚姻の際には、夫婦同姓・複合姓・夫婦別姓のいずれも選択可能である。
また同性結婚も可能である[63]。
また、在日英国大使館においても、同性結婚登録を行うことが可能である[64][65]。

教育[編集]
イギリスの学校教育は地域や公立・私立の別により異なるが、5歳より小学校教育が開始される。

医療[編集]
イギリスの医療は各地域それぞれの地方分権型であり、公費負担医療とプライベート診療が存在する。
公的医療はすべてのイギリス人に提供され、必要性が認められる治療は大部分は無料であり、一般税収を原資としている。
WHOは2000年に英国の医療制度を欧州で15位、世界で18位と評している[66][67]。

国全体にかかわる規制は、総合医療評議会英語版)や看護助産評議会英語版)や、またロイヤル・カレッジなどの外部機関が行っている。
しかし政策や現業の責務は、各地方行政区である4つの女王陛下の政府、北アイルランド政府、スコットランド政府、ウェールズ政府がそれぞれになっている。
それぞれの運営する国民保健サービスは、各々の政策や優先度を持ち、施政に違いをもたらしている[68][69]。

1979年に保健支出が急増したことにより、その値はEU平均に近くなってきている[70]。
英国はGDPの8.5%を医療に支出しており、これはOECD平均と比べて-0.5%、EU平均と比べて-1%の値であった[71]。

文化[編集]

文学[編集]
多くの傑作を後世に残したウィリアム・シェイクスピアは、イギリス・ルネサンス演劇を代表する空前絶後の詩人、および劇作家と言われる。
初期のイギリス文学者としてはジェフリー・オブ・モンマスやジェフリー・チョーサー、トマス・マロリーが著名。
18世紀になるとサミュエル・リチャードソンが登場する。
彼の作品には3つの小説の基本条件、すなわち「フィクション性および物語性、人間同士の関係(愛情・結婚など)、個人の性格や心理」といった条件が満たされていたことから、彼は「近代小説の父」と呼ばれている。

19世紀の初めになるとウィリアム・ブレイクウィリアム・ワーズワースロマン主義の詩人が活躍した。
19世紀には小説分野において革新が見られ、ジェーン・オースティン、ブロンテ姉妹、チャールズ・ディケンズ、トーマス・ハーディらが活躍した。
19世紀末には、耽美主義のオスカー・ワイルド、現代の推理小説の生みの親アーサー・コナン・ドイルが登場。

20世紀に突入すると、「SFの父」ハーバート・ジョージ・ウェルズ、モダニズムを探求したデーヴィッド・ハーバート・ローレンス、ヴァージニア・ウルフ、預言者ジョージ・オーウェル、「ミステリーの女王」アガサ・クリスティなどが出てくる。
そして近年、ハリー・ポッターシリーズのJ・K・ローリングがかつてのJ・R・R・トールキンのような人気を世界中で湧かせている。

音楽[編集]
クラシック音楽における特筆すべきイギリス人作曲家として、「ブリタニア音楽の父」ウィリアム・バード、ヘンリー・パーセル、エドワード・エルガー、アーサー・サリヴァン、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズベンジャミン・ブリテンがいる。
特に欧州大陸で古典派、ロマン派が隆盛をきわめた18世紀後半から19世紀にかけて有力な作曲家が乏しかった時期もあったが、旺盛な経済力を背景に演奏市場としては隆盛を続け、ロンドンはクラシック音楽の都の一つとして現在残る。

イギリスのポピュラー音楽[編集]
ポピュラー音楽(特にロックミュージック)において、イギリスは先鋭文化の発信地として世界的に有名である。
1960、70年代になるとロックが誕生し、中でもビートルズローリング・ストーンズといったロックンロールの影響色濃いバンドが、その表現の先駆者として活躍した。
やがてキング・クリムゾンピンク・フロイドなどのプログレッシブ・ロックや、クイーン、クリーム、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ブラック・サバスなどのR&Bやハードロックがロックの更新に貢献。
1970年代後半のパンク・ロックの勃興においては、アメリカ・ニューヨークからの文化を取り入れ、ロンドンを中心にセックス・ピストルズザ・クラッシュらが国民的なムーブメントを起こす。

パンク・ロック以降はインディー・ロックを中心にニュー・ウェーヴなどといった新たな潮流が生まれ、テクノポップ・ドラッグミュージック文化の発達と共にニュー・オーダーザ・ストーン・ローゼズ、グリッドなどが、メインストリームではデュラン・デュランデペッシュ・モードらの著名なバンドが生まれた。

90年代はブリットポップエレクトロニカがイギリスから世界中に広まり人気を博し、オアシス、ブラー、レディオヘッドプロディジーマッシヴ・アタックなどは特に目覚ましい。
シューゲイザートリップホップビッグビートなどといった多くの革新的音楽ジャンルも登場した。
近年ではエイミー・ワインハウスマクフライ、コールドプレイ、スパイス・ガールズらがポップシーンに名を馳せた。

イギリスではロックやポップなどのポピュラー音楽が、国内だけでなく世界へ大きな市場を持つ主要な外貨獲得興業となっており、トニー・ブレア政権下などではクール・ブリタニアでロックミュージックに対する国策支援などが行われたりなど、その重要度は高い。
アメリカ合衆国と共にカルチャーの本山として世界的な影響力を保ち続け、他国のポピュラー音楽産業の潮流への先駆性は、近年もいささかも揺るがない。

コメディ[編集]
イギリス人はユーモアのセンスが高いと言われている。また、コメディアンの多くは高学歴である。
ローワン・アトキンソン
チャールズ・チャップリン
ピーター・セラーズ
モンティ・パイソン
リック・ウェイクマン (但し、本職はミュージシャン)

国花[編集]
国花はそれぞれの地域が持っている。
イングランドはバラ
ウェールズはラッパスイセンスイセンの1種)。リーキもより歴史のあるシンボルだが、リーキは花ではない。
北アイルランドはシャムロック
スコットランドアザミ
 
祝祭日[編集]
祝祭日は、イングランドウェールズスコットランド北アイルランドの各政府により異なる場合がある。銀行をはじめ多くの企業が休みとなることから、国民の祝祭日をバンク・ホリデー(Bank holiday)(銀行休業日)と呼ぶ。

1月1日 元日 New Year's Day 移動祝日
1月2日 元日翌日 - 移動祝日、スコットランドのみ
3月17日 聖パトリックの日 St. Patrick's Day 北アイルランドのみ
3月 - 4月 聖金曜日 Good Friday 移動祝日
3月 - 4月 復活祭月曜日 Easter Monday 移動祝日
5月第1月曜日 五月祭 Early May Bank Holiday 移動祝日
5月最終月曜日 五月祭終り Spring Bank Holiday 移動祝日
7月12日 ボイン川の戦い記念日 Battle of the Boyne (Orangemen's Day) 北アイルランドのみ
8月第1月曜日 夏季銀行休業日 Summer Bank Holiday 移動祝日、スコットランドのみ
8月最終月曜日 夏季銀行休業日 Summer Bank Holiday 移動祝日、スコットランドを除く
12月25日 クリスマス Christmas Day 
12月26日 ボクシングデー Boxing Day 
聖金曜日を除く移動祝日は原則的に月曜日に設定されている。
ボクシングデー後の2日も銀行休業日であったが2005年を最後に廃止されている。

スポーツ[編集]
イギリスはサッカー、ラグビークリケット、ゴルフ、ボクシングなど多くの競技が発祥もしくは近代スポーツとして整備された地域であり、国技としても定着している。年間観客動員数は4000万人以上を集めるサッカーが他を大きく凌いでおり、競馬の600万人、ユニオンラグビーの300万、クリケット200万がそれに続く。

このうち団体球技(サッカー、ラグビークリケット)は発祥地域の伝統的な配慮から国際競技団体ではイギリス単体ではなく、イングランドスコットランドウェールズ北アイルランドラグビーに関してはアイルランドにまとめている)の4地域それぞれの加盟を認めているが、サッカーが公式なプログラムとして行われている近代オリンピックでは単一国家としての出場が大原則であるため、長年出場していなかった。

しかし2012年の開催が内定したロンドン五輪では4協会が一体となった統一イギリス代表としてエントリーした。

またイギリスの首都であるロンドンで夏季オリンピックを行ったのは、1948年以来64年ぶりである。ただし野球においては早くから英国代表として、欧州野球選手権やWBCなどに統一ナショナルチームを送り出している。

サッカー[編集]
数多くのスポーツを誕生させたイギリスでも取り分け人気なのがサッカーである。
イギリスでサッカーは「フットボール」と呼び、近代的なルールを確立したことから「近代サッカーの母国」と呼ばれ、それぞれの地域に独自のサッカー協会がある。

イギリス国内でそれぞれ独立した形でサッカーリーグを展開しており、中でもイングランドプレミアリーグは世界的に人気である。
イングランドサッカー協会 (FA) などを含むイギリス国内の地域協会は全て、国際サッカー連盟 (FIFA) よりも早くに発足しており、FIFA加盟国では唯一特例で国内の地域単位での加盟を認められている(以降、FIFAは海外領土など一定の自治が行われている地域協会を認可している)。
その為、FIFA欧州サッカー連盟UEFA)が主宰する各種国際大会(FIFAワールドカップUEFA欧州選手権UEFAチャンピオンズリーグUEFAカップFIFA U-20ワールドカップUEFA U-21欧州選手権などの年代別国際大会)には地域協会単位でのクラブチームやナショナルチームを参加させており、さらには7人いるFIFA副会長の一人はこの英本土4協会から選ばれる。

サッカーのルールや重要事項に関しては、FIFAと英本土4協会で構成する国際サッカー評議会が決定するなど特権的な地位が与えられている。また、サッカー選手や監督がプロ競技における傑出した実績によって一代限りの騎士や勲爵士となることがある(デヴィッド・ベッカム、スティーヴン・ジェラードやボビー・ロブソンアレックス・ファーガソンなど)。

また、サッカーはもともとラグビーと同じく中流階級の師弟が通うパブリックスクールで近代競技として成立したが、その過程は労働者階級の娯楽として発展していった。
ただ、当時のイギリスの継続的な不況からくる労働者階級の人口の割合と、それ以外の階級者も観戦していたということを注意しなければならない。
労働者階級がラグビーよりもサッカーを好んでいたとされる理由として、フーリガンというあまり好ましくない暴力的なファンの存在が挙げられることもある。
ただ、相次ぐフーリガン絡みの事件や事故を重く見た政府は1980年代にフーリガン規制法を制定し、スタジアムの大幅な安全基準の見直しなどを行った。
現在では各スタジアムの試合運営スタッフがスタジアムの至る所に監視カメラを設置し、特定のサポーター(フーリガン)に対する厳重な監視や入場制限を行っている。
そのような取り組みの結果、近年スタジアムではそれまで頻発していたフーリガン絡みの事件や事故の件数が大幅に減少した。
2007-2008シーズンにおけるイングランドサッカー入場者数[72] プレミアシップ 1370万8875人
チャンピオンシップ 939万7036人
フットボールリーグ1 441万2023人
フットボールリーグ2 239万6278人
FAカップ 201万1320人
リーグカップ 133万2841人
CL 122万0127人
UEFAカップ 46万2002人
総動員数 3494万人

競馬[編集]
近代競馬発祥の地でもある。
18世紀ゴルフに次いでスポーツ組織としてジョッキークラブが組織され、同時期にサラブレッドも成立した。
どちらかと言えば平地競走よりも障害競走の方が盛んな国であり、"Favourite 100 Horses"(好きな馬100選)ではアークルを初め障害馬が上位を独占した。
障害のチェルトナムフェスティバルやグランドナショナルミーティングは15~25万人もの観客動員数がある。
特に最大の競走であるG3グランドナショナルの売り上げは700億円近くになり、2007年現在世界で最も馬券を売り上げる競走になっている。
平地競走は、ダービー、王室開催のロイヤルアスコット開催が知られ、こちらも14~25万人の観客を集める。
ダービーは、この競走を冠した競走が競馬を行っている国には必ずと言っていい程存在しており世界で最も知られた競走といって良いだろう。
エリザベス女王も競馬ファンとして知られており、自身何頭も競走馬を所有している。

イギリスでは、日本などと違い競馬など特定の競技だけでなく全てのスポーツがギャンブルの対象となるが、売り上げはやはり競馬とサッカーが多い。
競馬は1970年代を頂点に人気を失いつつあったが、近年急速に観客動員数が持ち直す傾向にある。売上高も2兆円を超え、人口当りの売り上げは香港を除けばオーストラリアに次ぐ。
しかし、売り上げの多く(2003年で97.1%)が主催者側と関係のないブックメーカーに占められるという構造的な課題がある。
なお、イギリス人はどんな小さな植民地にも必ずと言っていい程競馬場を建設したため、現在でも旧イギリス領は競馬が盛んな国が多い。
また、馬術も盛んであり、馬術のバドミントンは3日間で15万人以上の観客動員数がある。

モータースポーツ[編集]
モータースポーツ発祥の地としても知られており、フォーミュラ1(F1)で多数のチャンピオンドライバーを生み出している他、歴史的にはロータスティレル、現存するものとしてはマクラーレン、ウィリアムズといった、数多くの名門レーシングチームが本拠を置き、モータースポーツ車両の設計製造において常に最先端を行く。
イベントにも歴史があり、1926年に初開催されたイギリスグランプリは最も古いグランプリレースのひとつであり、1950年にはこの年始まったF1の第1戦をシルバーストンサーキットで開催した。
世界ラリー選手権の一戦として組み込まれているラリー・グレート・ブリテン(1933年初開催)も同シリーズの中でもっとも古いイベントの一つである。

野球[編集]
知名度は低いが、1890年にブリティッシュ・ベースボール・リーグという野球リーグが誕生している。IBAFワールドカップの第1回大会では、アメリカ合衆国との二カ国対抗戦という形ではあったが、5回戦制のこの大会を4勝1敗で勝ち、最初の優勝国となっている。2012年9月には、第3回WBC予選に出場している。

最終更新 2015年5月14日 (木) 02:11 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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