読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

軍人勅諭・原文

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表された陸海軍軍人に賜はりたる勅諭 - Wikisourceを素材として二次利用しています。

  

お恥ずかしい話だが、私は軍人勅諭を初めてまともに読んだ。

意外だったのは、この勅諭が軍部の暴走をきつく戒める内容だったことだ。

武勇を嵩に着て荒ぶるなど軍人のあるべき姿ではない。軍人たるものは平素は温和にして質素な暮らしぶりを心がけ、民から尊敬され慕われる存在でなければならない。

また、有事においては冷静沈着な判断を失わず、出来もしないことを見栄や激昂で出来ると言い張り暴走するようなことは、国や民に大過をもたらす基であるから厳に慎まなければならない、と懇懇と説いている。

さすがに西周が草稿を書いただけのことはあって、理の通った名分だったのには驚いた。太子が十七条の憲法によって官僚の不徳をきつく戒め、撫民の心を忘れぬようにと説いたのと双璧をなす名分だということが今さら分かった。 

 

陸海軍軍人に賜はりたる勅諭(軍人勅諭)


我國の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にそある昔神武天皇躬つから大伴物部の兵ともを率ゐ中國のまつろはぬものともを討ち平け給ひ高御座に即かせられて天下しろしめし給ひしより二千五百有餘年を經ぬ此間世の樣の移り換るに隨ひて兵制の沿革も亦屢なりき

古は天皇躬つから軍隊を率ゐ給ふ御制にて時ありては皇后皇太子の代らせ給ふこともありつれと大凡兵權を臣下に委ね給ふことはなかりき中世に至りて文武の制度皆唐國風に傚はせ給ひ

六衞府を置き左右馬寮を建て防人なと設けられしかは兵制は整ひたれとも打續ける昇平に狃れて朝廷の政務も漸文弱に流れけれは兵農おのつから二に分れ古の徴兵はいつとなく壯兵の姿に變り

遂に武士となり兵馬の權は一向に其武士ともの棟梁たる者に歸し世の亂と共に政治の大權も亦其手に落ち凡七百年の間武家の政治とはなりぬ

世の樣の移り換りて斯なれるは人力もて挽回すへきにあらすとはいひなから且は我國體に戻り且は我祖宗の御制に背き奉り浅間しき次第なりき降りて弘化嘉永の頃より徳川の幕府其政衰へ

剩外國の事とも起りて其侮をも受けぬへき勢に迫りけれは朕か皇祖仁孝天皇皇考孝明天皇いたく宸襟を惱し給ひしこそ忝くも又惶けれ

然るに朕幼くして天津日嗣を受けし初征夷大将軍其政權を返上し大名小名其版籍を奉還し年を經すして海内一統の世となり古の制度に復しぬ是文武の忠臣良弼ありて朕を輔翼せる功績なり
歴世祖宗の專蒼生を憐み給ひし御遺澤なりといへとも併我臣民の其心に順逆の理を辨へ大義の重きを知れるか故にこそあれされは此時に於て兵制を更め我國の光を耀さんと思ひ此十五年か程に陸海軍の制をは今の樣に建定めぬ

夫兵馬の大權は朕か統ふる所なれは其司々をこそ臣下には任すなれ其大綱は朕親之を攬り肯て臣下に委ぬへきものにあらす子々孫々に至るまて篤く斯旨を傳へ天子は文武の大權を掌握するの義を存して再中世以降の如き失體なからんことを望むなり


朕は汝等軍人の大元帥なるそされは朕は汝等を股肱と頼み汝等は朕を頭首と仰きてそ其親は特に深かるへき朕か國家を保護して上天の惠に應し祖宗の恩に報いまゐらする事を得るも得さるも汝等軍人か其職を盡すと盡さゝるとに由るそかし

我國の稜威振はさることあらは汝等能く朕と其憂を共にせよ我武維揚りて其榮を耀さは朕汝等と其譽を偕にすへし汝等皆其職を守り朕と一心になりて力を國家の保護に盡さは我國の蒼生は永く太平の福を受け我國の威烈は大に世界の光華ともなりぬへし

 

朕斯も深く汝等軍人に望むなれは猶訓諭すへき事こそあれいてや之を左に述へむ

 

一 軍人は忠節を盡すを本分とすへし

 

凡生を我國に稟くるもの誰かは國に報ゆるの心なかるへき况して軍人たらん者は此心の固からては物の用に立ち得へしとも思はれす
軍人にして報國の心堅固ならさるは如何程技藝に熟し學術に長するも猶偶人にひとしかるへし其隊伍も整ひ節制も正くとも忠節を存せさる軍隊は事に臨みて烏合の衆に同かるへし

抑國家を保護し國權を維持するは兵力に在れは兵力の消長は是國運の盛衰なることを辨へ世論に惑はす政治に拘らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く
死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ其操を破りて不覺を取り汚名を受くるなかれ

 

一 軍人は禮儀を正くすへし

 

凡軍人には上元帥より下一卒に至るまて其間に官職の階級ありて統屬するのみならす同列同級とても停年に新舊あれは新任の者は舊任のものに服從すへきものそ下級のものは上官の命を承ること實は直に朕か命を承る義なりと心得よ

 

己か隷屬する所にあらすとも上級の者は勿論停年の己より舊きものに對しては總へて敬禮を盡すへし
又上級の者は下級のものに向ひ聊も輕侮驕傲の振舞あるへからす
公務の爲に威嚴を主とする時は格別なれとも其外は務めて懇に取扱ひ慈愛を專一と心掛け上下一致して王事に勤勞せよ

若軍人たるものにして禮儀を紊り上を敬はす下を惠ますして一致の和諧を失ひたらんには啻に軍隊の蠧毒たるのみかは國家の爲にもゆるし難き罪人なるへし


一 軍人は武勇を尚ふへし

 

夫武勇は我國にては古よりいとも貴へる所なれは我國の臣民たらんもの武勇なくては叶ふまし况して軍人は戰に臨み敵に當るの職なれは片時も武勇を忘れてよかるへきか

さはあれ武勇には大勇あり小勇ありて同からす血氣にはやり粗暴の振舞なとせんは武勇とは謂ひ難し軍人たらむものは常に能く義理を辨へ能く膽力を練り思慮を殫して事を謀るへし

小敵たりとも侮らす大敵たりとも懼れす己か武職を盡さむこそ誠の大勇にはあれ
されは武勇を尚ふものは常々人に接るには温和を第一とし諸人の愛敬を得むと心掛けよ由なき勇を好みて猛威を振ひたらは果は世人も忌嫌ひて豺狼なとの如く思ひなむ心すへきことにこそ

 

一 軍人は信義を重んすへし

 

凡信義を守ること常の道にはあれとわきて軍人は信義なくては一日も隊伍の中に交りてあらんこと難かるへし
信とは己か言を踐行ひ義とは己か分を盡すをいふなりされは信義を盡さむと思はゝ始より其事の成し得へきか得へからさるかを審に思考すへし

朧氣なる事を假初に諾ひてよしなき關係を結ひ後に至りて信義を立てんとすれは
進退谷りて身の措き所に苦むことあり悔ゆとも其詮なし
始に能々事の順逆を辨へ理非を考へ其言は所詮踐むへからすと知り
其義はとても守るへからすと悟りなは速に止るこそよけれ

古より或は小節の信義を立てんとて大綱の順逆を誤り或は公道の理非に踏迷ひて私情の信義を守りあたら英雄豪傑ともか禍に遭ひ身を滅し屍の上の汚名を後世まて遺せること其例尠からぬものを深く警めてやはあるへき


一 軍人は質素を旨とすへし

 

凡質素を旨とせされは文弱に流れ輕薄に趨り驕奢華靡の風を好み遂には貪汚に陷りて
志も無下に賤くなり節操も武勇も其甲斐なく世人に爪はしきせらるゝ迄に至りぬへし
其身生涯の不幸なりといふも中々愚なり此風一たひ軍人の間に起りては彼の傳染病の如く蔓延し士風も兵氣も頓に衰へぬへきこと明なり

朕深く之を懼れて曩に免黜條例を施行し畧此事を誡め置きつれと猶も其悪習の出んことを憂ひて心安からねは故に又之を訓ふるそかし汝等軍人ゆめ此訓誡を等閑にな思ひそ右の五ヶ條は軍人たらんもの暫も忽にすへからす

 

さて之を行はんには一の誠心こそ大切なれ抑此五ヶ條は我軍人の精神にして一の誠心は又五ヶ條の精神なり心誠ならされは如何なる嘉言も善行も皆うはへの裝飾にて何の用にかは立つへき心たに誠あれは何事も成るものそかし

 

况してや此五ヶ條は天地の公道人倫の常經なり行ひ易く守り易し汝等軍人能く朕か訓に遵ひて此道を守り行ひ國に報ゆるの務を盡さは日本國の蒼生擧りて之を悦ひなん朕一人の懌のみならんや


明治十五年一月四日御名

 

参考現代語訳


わが国の軍隊は代々天皇の統率したまう所にある。
昔、神武天皇みずから大伴物部の兵たちを率い、国中の帰順せぬ者どもを討ちたいらげ、皇位につき天下を治められてから、二千五百年余りを経た。

この間、世の移り変わりに従い、兵制の改革もまたしばしばであった。
古くは天皇がみずから軍を率いられる制度であり、時には皇后皇太子が代ることもあったが、およそ兵権を臣下に委ねることはなかった。

中世に至り、政治軍事の制度をみな唐にならわせ、六の衛府を置き左右の馬寮を建て、防人などを設けて兵制は整った。しかしうち続く平和になれ、朝廷の政務もしだいに文弱に流れたため、兵と農はおのずから二つに分かれ、古代の徴兵はいつとなく
志願の姿に変わり、ついには武士となった。


軍事の権限は、すべて武士たちの頭領である者に帰し、世の乱れとともに政治の大権もまたその手に落ち、およそ七百年のあいだ武家の政治となった。
世のさまの移りでかくなったのは、人の力では挽回できなかったともいえるが、
それはわが国体に照らし、かつわが祖先の制度に背く、嘆かわしき事態であった。


時が下って、弘化嘉永の頃から徳川幕府の政治は衰え、あまつさえ外国との諸問題が起こって国が侮りを受けかねない情勢が迫り、わが祖父仁孝天皇、先代孝明天皇をいたく悩ませられたことは、かたじけなくも又おそれ多いことであった。

しかるに朕が幼くして皇位を継承した当初、征夷大将軍が政権を返上し、大名小名は版籍を奉還した。
年を経ずに国内が統一され、古代の制度が復活した。

これは文武の忠臣良臣が朕を補佐した功績であり、民を思う歴代天皇の遺徳であるが、あわせてわが臣民が心に正逆の道理をわきまえ、大義の重さを知っていたからこそである。

そこでこの時機に兵制を改め国威を輝かすべしと考え、この十五年ほどで陸海軍の制度を今のように定めたのである。軍の大権は朕が統帥するもので、その運用は臣下に任せても、大綱は朕がみずから掌握し、臣下に委ねるものではない。

子孫に至るまでこの旨をよく伝え、天皇が政治軍事の大権を掌握する意義を存続させ、再び中世以降のように、正しい体制を失うことがないよう望む。


朕は汝(なんじ)ら軍人の大元帥である。朕は汝らを手足と頼み、汝らは朕を頭首とも仰いで、その関係は特に深くなくてはならぬ。
朕が国家を保護し、天の恵みに応じ祖先の恩に報いることができるのも、
汝ら軍人が職分を尽くすか否かによる。

国の威信にかげりがあれば、汝らは朕と憂いを共にせよ。
わが武威が発揚し栄光に輝くなら、朕と汝らは誉れをともにすべし。

汝らがみな職分を守り、朕と心を一つにし、国家の防衛に力を尽くすなら、
我が国の民は永く太平を享受し、我が国の威信は大いに世界に輝くであろう。
朕の汝ら軍人への期待は、かくも大きい。

そのため、ここに訓戒すべきことがある。それを左に述べる。


一 軍人は忠節を尽くすを本分とすべし。

我が国に生をうける者なら、誰が国に報いる心がないことがあろう。
まして軍人となる者は、この心が固くなければ、物の役に立つとは思われぬ。
軍人にして報国の心が堅固でないならば、いかに技量に練達し、また学術に優れても、なお木偶(でく)人形にひとしいのだ。

隊伍整い規律正しくとも、忠節の存在しない軍隊は、有事にのぞめば烏合の衆と同じである。
国家を防衛し、国権を維持するのは兵の力によるのであるから、兵力の強弱はすなわち国運の盛衰であることをわきまえよ。

世論に惑わず、政治に関わることなく、ただ一途におのれの本分たる忠節を守り、
義務は山より重く、死は羽毛より軽いと覚悟せよ。
その志操を破り、不覚をとって汚名をうけることのないように。


一 軍人は礼儀を正しくすべし。

軍人は上は元帥から下は一兵卒に至るまで、階級があって統制に属すだけでなく、
同じ階級でも年次に新旧があり、年次の新しい者は、古い者に従うべきものだ。

下級の者が上官の命令を受ける時には、実は朕から直接の命令を受けると同義と心得よ。自己の所属するところでなくとも、上官はもちろん年次が自己より古い者に対しては、すべて敬い礼を尽くすべし。また上級の者は下級のものに向かい、いささかも軽侮し傲慢な振るまいがあってはならぬ。公務のため威厳を主とする時は別、そのほかは努めて親密に接し、慈愛をもっぱらに心がけ、上下が一致して公務に勤めよ。

 

もし軍人たる者で礼儀を破り、上を敬わず下をいたわらず、一致団結を失うならば、
ただ軍隊の害毒であるのみか、国家のためにも許しがたき罪人である。

 

一 軍人は武勇を尊ぶべし。

 

武勇は我が国において古来より尊ばれてきたところであるから、我が国の臣民たるものは、武勇なくしてははじまらぬ。まして軍人は戦闘にのぞみ、敵に当たる職務であるから、片時も武勇を忘れてよいことがあろうか。

 

ただ武勇には大勇と小勇があり同じではない。血気にはやり、粗暴に振るまうなどは
武勇とはいえぬ。軍人たるものは常によく義理をわきまえ、胆力を練り、思慮を尽くして物事を考えるべし。

小敵も侮らず、大敵をも恐れず、武人の職分を尽くすことが、まことの大勇である。
武勇を尊ぶ者は、常々他人に接するにあたり温和を第一とし、人々から敬愛されるよう心がけよ。わけもなく蛮勇を好み、乱暴に振舞えば、果ては世人から忌み嫌われ、
野獣のように思われるのだ。心すべきことである。


一 軍人は信義を重んずべし。

 

信義を守ることは常識であるが、とりわけ軍人は信義がなくては一日でも隊伍の中に
加わっていることが難しい。

信とはおのれの言葉を守り、義とはおのれの義理を果たすことをいう。

従って信義を尽くそうと思うならば、はじめからその事が可能かまた不可能か、入念に思考すべし。

いまいな物事を気軽に承知して、いわれなき係わりあいを持ち、後になって信義を立てようとしても進退に困り、身の置き所に苦しむことがある。

後悔しても役に立たぬ。始めによくよく事の正逆をわきまえ、理非を考えて、この言はしょせん実行できぬもの、この義理はとても守れぬものと悟ったならば、すみやかにとどまるがよい。

古代から、あるいは小の信義を貫こうとして大局の正逆を見誤り、あるいは公の理非に迷ってまで私情の信義を守り、あたら英雄豪傑が災難にあって身をほろぼし、死後に汚名を後世まで残した例は少なくない。深く警戒しなくてはならぬ。


一 軍人は質素を旨とすべし。

 

およそ質素を心がけなければ、文弱に流れ軽薄に走り、豪奢華美を好み、ついには貪官となり汚職に陥って心ざしもむげに賤しくなり、節操も武勇も甲斐なく、人々に爪はじきされるまでになるのだ。その身の一生の不幸と言うも愚かである。

この風潮がひとたび軍人の中に発生すれば、伝染病のように蔓延して武人の気風も兵の意気もとみに衰えることは明らかである。

朕は深くこれを危惧し、先に免黜条例を施行してこの点の大体を戒めた。
しかしなおこの悪習が出ることを憂慮し、心が静まらぬため又この点を指導するのである。汝ら軍人は、ゆめゆめこの訓戒をなおざりに思うな。

 

右の五か条は軍人たらん者は、しばしもゆるがせにしてはならぬ。
これを行うには誠の一心こそが大切である。この五か条はわが軍人の精神であって、
誠の心一つは、また五か条の精神なのである。

心に誠がなければ、いかに立派な言葉も、また善き行いも、みな上べの装飾で何の役に立とうか。誠があれば、何事も成しとげられるのだ。ましてこの五か条は、天地の大道であり人倫の常識である。
行うにも容易、守るにも容易なことである。

汝ら軍人はよく朕の教えに従い、この道を守り実行し、国に報いる義務を尽くせば、
朕ひとりの喜びにあらず、日本国の民はこぞってこれを祝するであろう。


通称: 軍人勅諭

法令全書における名称: 軍人訓誡ノ勅諭

明治十五年陸軍省達乙第二号 底本: 法令全書(明治十五年)


「陸海軍軍人に賜はりたる勅諭」の書誌情報
ページ名: 陸海軍軍人に賜はりたる勅諭
 著者: Wikisourceへの寄稿者ら
発行者: 『Wikisource
 更新日時: 2015年3月15日 10:46 (UTC)
取得日時: 2015年5月28日 01:53 (UTC)
恒久的なURI: http://ja.wikisource.org/w/index.php?title=%E9%99%B8%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%BB%8D%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%B3%9C%E3%81%AF%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%82%8B%E5%8B%85%E8%AB%AD&oldid=56288
ページの版番号: 56288