十七条の憲法

天皇と言ってもピンからキリまである。

私が文句なしに好きなのは即位こそしなかったがテキスト化された日本史(古事記は歴史には含まない)の起源にいる厩戸皇子聖徳太子だ。

十七条の憲法を起草したのが太子本人だったのか、そもそも太子が実在の人物だったのかなど、諸説様々だけど、十七条の憲法は軍人勅諭と並ぶ名分だと思っている。

いつものごとくウィキペディアから引っ張って来てみる。

 

*   *   *   *   *

 

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表された十七条憲法 - Wikisourceを素材として二次利用しています。

 

【オリジナル】「厩戸皇子―うまやどのみこ―」イラスト/美羅 [pixiv]

 

 

十七条憲法(じゅうしちじょうけんぽう)
日本書紀』第二十二巻 豊御食炊屋姫天皇 推古天皇十二年(604年)
訓は飯島忠夫・河野省三編『勤王文庫』第一篇(大日本明道館。大正八年六月十五日発行)による。

 

原文[編集]

夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親肇作憲法十七條。

一曰、

以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。

二曰、

篤敬三寶。々々者佛法僧也。則四生之終歸、萬國之禁宗。何世何人、非貴是法。人鮮尤惡。能敎従之。其不歸三寶、何以直枉。

三曰、

承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆臣載。四時順行、萬気得通。地欲天覆、則至懐耳。是以、君言臣承。上行下靡。故承詔必愼。不謹自敗。

四曰、

群卿百寮、以禮爲本。其治民之本、要在禮乎、上不禮、而下非齊。下無禮、以必有罪。是以、群臣禮有、位次不亂。百姓有禮、國家自治。

五曰、

絶饗棄欲、明辨訴訟。其百姓之訟、一百千事。一日尚爾、況乎累歳。頃治訟者、得利爲常、見賄廳讞。便有財之訟、如右投水。乏者之訴、似水投石。是以貧民、則不知所由。臣道亦於焉闕。

六曰、

懲惡勸善、古之良典。是以无匿人善、見-悪必匡。其諂詐者、則爲覆二國家之利器、爲絶人民之鋒劔。亦佞媚者、對上則好説下過、逢下則誹謗上失。其如此人、皆无忠於君、无仁於民。是大亂之本也。

七曰、

人各有任。掌宜-不濫。其賢哲任官、頌音則起。姧者有官、禍亂則繁。世少生知。剋念作聖。事無大少、得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此國家永久、社禝勿危。故古聖王、爲官以求人、爲人不求官。

八曰、

群卿百寮、早朝晏退。公事靡監。終日難盡。是以、遲朝不逮于急。早退必事不盡。

九曰、

信是義本。毎事有信。其善悪成敗、要在于信。群臣共信、何事不成。群臣无信、萬事悉敗。

十曰、

絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心。々各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理、詎能可定。相共賢愚、如鐶无端。是以、彼人雖瞋、還恐我失。、我獨雖得、從衆同擧。

十一曰、

明察功過、賞罰必當。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿、宜明賞罰。

十二曰、

國司國造、勿収斂百姓。國非二君。民無兩主。率土兆民、以王爲主。所任官司、皆是王臣。何敢與公、賦斂百姓。

十三曰、

諸任官者、同知職掌。或病或使、有闕於事。然得知之日、和如曾識。其以非與聞。勿防公務。

十四曰、

群臣百寮、無有嫉妬。我既嫉人、々亦嫉我。嫉妬之患、不知其極。所以、智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以、五百之乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治國。

十五曰、

背私向公、是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同、非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云、上下和諧、其亦是情歟。

十六曰、

使民以時、古之良典。故冬月有間、以可使民。從春至秋、農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。

十七曰、

夫事不可獨斷。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事、若疑有失。故與衆相辮、辭則得理。

 

訓[編集]

 一に曰はく、

和を以て貴(たつと)しと為し、忤(さから)ふこと無きを宗と為す。人皆党(たむら)有りて、亦達者少し。是を以て或は君父に順(したが)はずして、乍(たちま)ち隣里に違(たが)ふ。然れども上和(やはら)ぎ下睦(むつ)びて、事を論(あげつら)ふに諧(ととの)へば、則ち事理自ら通ず、何事か成らざらむ。

 

 二に曰はく、

篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬へ。三宝は仏法僧なり。則ち四生(ししやう。胎生、卵生、湿生、化生の称、凡べての生物をいふ也)の終帰(しうき)、万国の極宗(きょくそう)なり。何(いづれ)の世、何(いづれ)の人か是(こ)の法(のり)を貴ばざる。人尤(はなは)だ悪しきもの鮮(すくな)し。能く教ふるをもて従ふ。其れ三宝に帰せずんば、何を以てか枉(まが)れるを直さむ。

 

 三に曰はく。

詔(みことのり)を承(う)けては必ず謹め。君をば天(あめ)とす。臣(やつこら)をば地(つち)とす。天覆(おほ)ひ地載す。四時順(よ)り行き、方気(ほうき)通(かよ)ふを得。地天を覆(くつがへ)さんと欲するときは、則ち壊(やぶれ)を致さむのみ。是を以て君言(のたま)ふときは臣承(うけたまは)る。上行へば下靡(なび)く。故に詔を承けては必ず慎め。謹まざれば自らに敗れむ。

 

 四に曰はく。

群卿(まちぎみたち)百寮(つかさづかさ)、礼を以て本と為(せ)よ。其れ民を治むる本は、要は礼に在り。上礼無きときは下斉(ととのほ)らず。下礼無きときは以て必ず罪有り。是を以て君臣礼有るときは、位の次(つぎて)乱れず。百姓礼有るときは、国家(あめのした)自ら治まる。

 

 五に曰く。

饗(あぢはひのむさぼり)を絶ち、欲を棄て、明に訴訟(うつたへ)を弁へよ。其れ百姓の訟(うつたへ)は一日に千事あり。一日すら尚爾(しか)り。況んや歳を累(かさ)ぬるをや。須らく訟を治むべき者、利を得て常と為し、賄(まひなひ)を見て讞(ことわり)を聴(ゆる)さば、便(すなは)ち財(たから)有るものの訟は、石をもて水に投ぐるが如し。乏しき者(ひと)の訟は、水をもて石に投ぐるに似たり。是を以て貧しき民、則ち所由(よるところ)を知らず。臣道亦焉(ここ)に於て闕(か)けむ。

 

 六に曰く。

悪を懲(こら)し善を勧むるは、古の良(よ)き典(のり)なり。是を以て人の善を慝(かく)すこと無く、悪を見ては必ず匡(ただ)せ。若し諂(へつら)ひ詐(いつは)る者は、則ち国家を覆すの利器たり。人民を絶つ鋒剣たり。亦侫媚者(かたましくこぶるもの)は、上に対(むか)ひては則ち好みて下の過を説き、下に逢ては則ち上の失(あやまち)を誹謗(そし)る。其れ如此(これら)の人は、皆君に忠(いさをしきこと)无(な)く民に仁(めぐみ)無し。是れ大きなる乱の本なり。

 

 七に曰はく、

人各任掌(よさしつかさど)ること有り。宜しく濫(みだ)れざるべし。其れ賢哲官に任(よさ)すときは、頌音(ほむるこゑ)則ち起り、奸者官を有(たも)つときは、禍乱則ち繁し。世に生れながら知ること少けれども、尅(よ)く念(おも)ひて聖を作(な)せ。事大小と無く、人を得て必ず治む。時急緩と無く、賢に遇ひて自(おのづか)ら寛(ゆたか)なり。此に因て国家永久、社稷(しやしよく)危きこと無し。故(か)れ古の聖王、官の為に以て人を求む、人の為に官を求めたまはず。

 

 八に曰はく、

群卿百寮、早く朝(まゐ)り晏(おそ)く退(まか)でよ。公事監(いとま)靡(な)く、終日(ひねもす)にも尽し難し。是を以て遅く朝(まゐ)れば急に逮(およ)ばず。早く退(まか)れば必ず事尽(つく)さず。

 

 九に曰はく、

信は是れ義の本なり。事毎(ごと)に信有れ。若し善悪成敗、要は信に在り。君臣共に信あるときは何事か成らざらむ。

 

 十に曰はく。

忿(いかり)を絶(た)ち瞋(いかり)を棄て、人の違ふことを怒らざれ。人皆心有り。心各執ること有り。彼是(ぜ)なれば吾は非なり、我是なれば則ち彼非なり。我必ずしも聖に非ず。彼必ずしも愚に非ず。共に是れ凡夫(ぼんぶ)のみ。是非の理、誰か能く定む可き。相共に賢愚、鐶(みみがね)の端无(な)きが如し。是を以て彼の人は瞋(いか)ると雖も、還(かへつ)て我が失(あやまち)を恐る。我独り得たりと雖も、衆に従ひて同く挙(おこな)へ。

 

 十一に曰はく、

功過を明察(あきらか)にして、賞罰必ず当てよ。日者(このごろ)、賞功に在らず、罰罰(つみ)に在らず。事を執れる群卿、宜しく賞罰を明にすべし。

 

 十二に曰はく、

国司(みこともち)国造(くにのみやつこ)、百姓に歛(をさめと)ること勿れ、国に二君(ふたりのきみ)非(な)く、民に両主(ふたりのぬし)無し、率土(そつと)の兆民、王(きみ)を以て主(しゆ)と為す。所任官司(よさせるつかさみこともち)は皆是れ王臣なり。何ぞ敢て公(おほやけ)と与(とも)に百姓に賦斂(をさめと)らむ。

 

 十三に曰はく、

諸(もろもろ)の任官者(よさせるつかさびと)、同じく職掌(つかさごと)を知れ。或は病(やまひ)し或は使(つかひ)して、事に闕(おこた)ることあり。然れども知るを得ての日には、和(あまな)ふこと曾(さき)より識(し)るが如くせよ。其れ与(あづか)り聞(き)くに非ざるを以て、公務(まつりごと)を防(さまた)ぐること勿れ。

 

 十四に曰はく、

群卿百寮、嫉(そね)み妬(ねた)むこと有る無(なか)れ。我既に人を嫉めば、人亦我を嫉む。嫉妬(しつと)の患、其の極りを知らず。所以(ゆゑ)に智己れに勝(まさ)れば、則ち悦ばず。才己れに優(まさ)れば、則ち嫉妬(ねた)む。是を以て五百(いほとせ)にして乃ち賢(さかしびと)に遇はしむれども、千載(ちとせ)にして以て一聖を待つこと難し。其れ聖賢を得ざれば、何を以てか国を治めむ。

 

 十五に曰はく、

私を背いて公に向くは、是れ臣の道なり。凡そ夫人(ひとびと)私有れば必ず恨(うらみ)有り、憾(うらみ)有れば必ず同(ととのほ)らず。同らざれば則ち私を以て公を妨ぐ。憾(うらみ)起れば則ち制(ことわり)に違ひ法(のり)を害(やぶ)る。故に初の章(くだり)に云へり、上下和諧(あまなひととのほ)れと。其れ亦是(こ)の情(こころ)なる歟(かな)。

 

 十六に曰はく、

民を使ふに時を以てするは古(いにしへ)の良典(よきのり)なり。故(か)れ冬の月には間(いとま)有り、以て民を使ふ可し。春従(よ)り秋に至つては、農桑(たつくりこがひ)の節(とき)なり、民を使ふ可らず。其れ農(たつく)らずば何を以てか食はむ。桑(こが)ひせずば何をか服(き)む。

 

 十七に曰はく、

夫れ事は独り断(さだ)む可らず。必ず衆(もろもろ)と与(とも)に宜しく論(あげつら)ふべし。少事は是れ軽し、必ずしも衆(もろもろ)とす可らず。唯大事を論(あげつら)はんに逮(およ)びては、若し失(あやまち)有らんことを疑ふ。故に衆と与(とも)相弁(わきま)ふるときは、辞(こと)則ち理を得。

 

「十七条憲法」の書誌情報
•ページ名: 十七条憲法
•著者: Wikisourceへの寄稿者ら
•発行者: 『Wikisource
•更新日時: 2014年8月17日 10:29 (UTC)
•取得日時: 2015年5月29日 10:57 (UTC)
•恒久的なURI: http://ja.wikisource.org/w/index.php?title=%E5%8D%81%E4%B8%83%E6%9D%A1%E6%86%B2%E6%B3%95&oldid=53996
•ページの版番号: 53996